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流されるままに。
呑んでいればご機嫌。
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この小説は、死者が墓の中で目覚めるところから始まる。死者が足掻いたり唸ったり、読者としてはまず一番にぎょっとする。ところが不思議なことに、物語の進行とともに、物語全体にあたたかな空気が一貫して流れていることに気付くのである。
20代の半ば、折口信夫は自分の道を定めかねていた。学者の道へ進むか、歌人として文学に生きるか。そんな頃、柳田国男の「郷土研究」が創刊、進むべき方向性が見えてくる。一方、30歳にして口訳万葉集を仕上げアララギの選者にもなり、歌人釈超空としての地盤もできてくる。独特の折口ワールドは、古代研究者折口信夫によって深められ、また歌人釈超空によって究められ、熟成されていく。 この小説には、極めて艶めかしく美しい、セクシュアルなシーンがある。中将姫(南家郎女)が春の中日の翌々夜に見る、俤人に抱かれる幻想である。俤人とは冒頭の死者、大津皇子(滋賀津彦)である。この二人は現代から見れば同じ古代に属する人だが、実は違う時代に生き、この物語の時点では死者と生者として隔たっている。ここにさらに現代を生きる折口が絡む。艶めかしくセクシュアルな幻想は、実は折口自身が見たものなのだ。プラトニックな愛の対象であった同性の同級生、亡くなった彼と夢で出会った折口は、いつしか中将姫の身の上となり、なんとも温かい気分が残ったという。自身の感覚に残った夢と目覚め、史実・伝記が物語の中で美しく融合されてゆく。時間の軸は曖昧になり、死者と生者が混じり合う。折口にとって死者は、遠いものではなく、なんとか交感したい、そして交感し得る存在なのだ。 大津皇子は、この世に未練を残したまま刑死された成仏できない未完成霊である。未完成霊は、折口の学問のテーマの一つかもしれない。(これより後、藤井春洋や若い学生たちを戦争に送り出す。それは未完成霊を多く作り出す結果となり、後の折口を悩ませる。)学問となれば、実証や論理で説いていく説明世界である。現に、死者の書で印象的に描かれる中日の入り日は、ほかの著作では民俗学的に説明される。そのような民俗学・古代研究という学問の専門分野が、歌人の手によって美しい調べとなる。大津皇子や中将姫の世界が、共感をもって読者の肌のすみずみまで浸透し、あたたかな印象を残してゆく。熟成された折口ワールドがここにある。 4月、二上山は春が満ち溢れる。未完成霊大津皇子もやっと成仏しているに違いない。 PR
北穂山頂へは、青い健脚のお兄さんが一足先に到着し、そこにわたしが辿り着いた。幻想的な霧の中で、「北穂高岳3106M」と書かれた木の看板に、抱きついてしまう。はしゃいでる間に、臙脂の女性もすぐに登ってきた。お互いに写真を撮りあったり、3人で一緒に記念撮影する。女の子のほうが少し疲れて、カップルちゃんもやってきた。途中までと言っていた黄色の女性は降りたようだったが、途中で会った5人みんなで一緒に登ったような嬉しさが生まれる。一人では登れなかった北穂。ここで出会った人たちがいたからこそ登れた北穂だった。
かわいい北穂小屋でおいしい中華丼を食べ、雨の降る中大急ぎで下山する。それぞれのペースで。紅葉の涸沢の中へ戻っていく。涸沢に着くと青いお兄さんがすでにビールを呑んでいる。臙脂の女性は、この寒いのに涸沢ヒュッテでソフトクリームを食べてきたと言ってゆっくりと戻ってくる。女の子の方が少し疲れていたカップルちゃんは、どうやら今日は北穂小屋泊を決めたようだ。 夜、外で一人で飲んでいた。庇のあるところだけれど、雨だから、人は少ない。隣の男女の会話が自然耳に入ってくる。どうやら屋久島の話をしている。田舎浜という単語も聞こえる。思わずそっちを見ると、「一杯どう?」と三岳。「実はさっきから話しかけたかったでしょ。」図星。「わたしも去年田舎浜で4泊してるんですよ~」「じゃあ、あのおばちゃん知ってる?」そんなんで盛り上がって聞くところ、そのお兄さんとお姉さんは田舎浜の海亀監視員のボランティアで出会ったお友達同士で、お兄さんは今は上高地の食堂で働き、お姉さんは外人さんのご主人がいて、金沢でケーキを作っているという。ひとしきり盛り上がったところで、屋内の談話室へ移動。青いお兄さんと4人でさらに盛り上がる。「誰が一番年上か?」わたし、32歳。「若っ」。青いお兄さん37歳。「おー、俺の方が上かぁ」と屋久島のお兄さん。「じゃあ一番上は」とキュートなお姉さんを指差す。お兄さん39歳、お姉さん40歳。「彼女置いてきていいの?」「いや、まずいみたい」(青いお兄さん)。お嬢の彼女にどうやらフラレタらしい屋久島のお兄さん。そして、わたしは。「よく一人で来るの?」「いや、去年は二人だったんですよ~。屋久島も」「あれま」「振られたんですけどね。」「お、恋バナ♪」「彼がシルバーウィークに穂高来たんだけど、超晴れてて、送ってくれた写メ見て、悔しくって来ちゃいました~」「お、ダーリンのトレースじゃん!」「若いねぇ」「ひゅー」・・・。いいねぇ、恋だね~。と言われていると、そっか、恋か、と思う。明日が彼の28歳最後の日で、明後日が誕生日だ。大阪に会いに行っちゃおうかな、と思う。穂高に一人で登れたし、山を堪能できたから、もう就職しなくっちゃ。就職したら、気軽には行けなくなってしまうから。雨のなか、いい気分でテントに戻る。明日は、ここからバースデーカードを送ろう。
朝歩くのは気持ちいい。しかも重い荷物は持っていない。軽い身体で登っていく。涸沢の紅葉は、霧一枚の薄いベール覆われている。奥穂へのザイテングラードもそうだが、北穂へのこの道も、少し行くだけで涸沢がどんどん小さくなっていく。張りっぱなしの自分のテントが点になっていく。気分はうきうきしている。ところが残念ながら天気は危うい。今日は行って帰ってくればいいのだから、多少の雨でも大丈夫。そうは思っている間にも霧雨がかかってきて、足を速める。霧雨がいよいよ小雨になってくると、果たして登るべきか戻るべきか、考え始めることになった。降りられなくなるのが一番問題だし、何かあっても人が全然いない。とにかく一人で登る以上、危なそうでなくても、迷ったら止めるということをルールにしようと考えていた。どうしようかな、歩きやすい楽な道とは言え、結構急で、石が滑りやすそうだ。行かないと判断するなら早いほうがいい。だらだらと、行くと行かないの間をうろうろしながら登っていたけれど、やっぱりやめよう、と決めて引き返すことに決めた。残念だなあ、と思いながらも、まだ足元に問題ないうちに戻ることにしたことが、きっと正しい選択だろうと思いながら来た道を下りるのだった。
しばらく戻ると、若い女の子、そして男の子がカップルで登ってきた。「こんにちは。」「こんにちは。」「どうしたんですか?」「雨だから・・・。下りようかな、と」「そうなんですか。わたしたちはがんばって行ってみます。」「お気をつけて。」それからもうしばらく戻ると、今度は女性が一人で登ってくる。「こんにちは。」「こんにちは。」この女性は、昨日の夜、ちょっと話した人だ。上高地のホテルで働いていて、大好きな北穂に行きたくて平日にお休みを取ったという話だった。北穂小屋も大好きで、お友達がいるという。足に自信がないから、雨が降ったら頂上まで行けるかわからないけれどそれでもいいと言っていた。もうすでに雨は雨らしくなっていた。その雨の中、黄色のレインウエアのその女性は、丁寧に歩いていた。すれ違ってから、考えた。やっぱり登ろうか。最初に登っていった女性は戻ってこない。わたしの後から登ってきた人もいた。北穂までのこの道には、わたしだけではない。それはとても心強いことだった。登ろう、という決意が固まった。そして、登った三分の二をもったいなくも下ったところで、もう一度方向転換をした。道は頂上へ向かっている。 そんなこんなでまた登り始めた。下りた分を取り戻そうと頑張ったら、黄色の女性を追い越して、カップルちゃんに追いついた。「速いですね」なんて言われてながら、追い越したり先に行ってもらったりしながら、二人と似たようなペースで上へ向かう。順調に登っていると、なんと、朝一番でスタートした臙脂の女性が下りてくる。「梯子を登って尾根に出たんだけど、もういいわ」。わたしよりだいぶ前に出発して、しかもわたしは一度戻ったりしているから、かなり前を行っていたはずだ。わたしたちのところまで戻ってきたということは、相当な距離を戻ってきたのだ。同じだ。前後に人なく単独で登っているときの気持ちは同じだ。「一緒に行きましょうよ。」と言ってみたけれど、「やめておくわ」と下りていく、その背中を見送る。かなり行くと、件の梯子で、そこまでかなりの距離があったので、臙脂の女性の無念を思った。梯子を登り、なんだかそこでゴールが近い気分になったが、実はまだ半分くらい。ここから道は起伏にとんで急になってきて、まだまだ続くのだった。そんなことはまだ知らず登っていると、今度は後ろから青い健脚のお兄さんが登ってきた。昨日ビールを片手に話した一人で、出遅れたと言いながら、雨だとペースが遅くて参るよと言いながら、よいペースで登っていく。 一生懸命、という言葉がぴったりとくる。じぐざぐな急登の途中で腰を下ろしてパンに噛りつく。カップルちゃんが追い越して行く。また登りはじめると、今度はカップルちゃんが小休憩。カップルちゃんを追い越して、もう頂上か、まだ頂上は、と思いながら、歩く。登る。雨は、止まない。ふと、前に、青い健脚のお兄さんがお湯を沸かしている。「コーヒー飲みたいでしょ。」冷えた身体に、疲れた身体に、熱い一杯のコーヒーは嬉しいに決まっている。お兄さんもそれをわかっていて、答えるまもなく当たり前に一杯注いでくれる。熱いコーヒーを両手に挟んいると、手は温まるし香り立つ湯気が楽しい。そうやって休んでいると、下りていったはずの臙脂の女性が登ってくるのが見える。やっぱり登ることにしたのだ。先頭で一人だと不安になるが、これだけ登る人とすれ違ってみると、やっぱり登ろうという勇気になる。手を振って応援する。そう、ここには、もう一息の道標があったのだ。ここまで来ればもうすぐだ。
昼過ぎに辿り着いた涸沢は、広く、雄大で、山全体が色付いていた。ぐるっと囲む穂高の山々が、山頂を残して、オレンジと黄と緑と赤で粧っている。期待もしていなかった、静かな紅葉。例年より10日早い、と人々は言う。すでに10月の連休の予約を入れながら、慌てて来た、という悠々自適のおじさまは珍しい。まばらにいる人のほとんどは特に紅葉を期待していたわけでもなく、自分たちの運を素直にかみしめる。この紅葉の中に、あとは夕暮れまで浸っていればいい。テントを張り終えたら、生ビールを一杯買って、小屋横のテラスに一人腰かけ、明るく色付いている穂高をただ眺めていればいい。ビールを呑みながら紅葉を眺め、穂高を見上げていると、テラスにも、一人、二人と人が増えてきた。楽しそうな仲間連れもいれば、同じような単独者もいる。ビールを片手に、臙脂のレインウエアの女性に声をかけられる。同年代らしき男性も同じテーブルに腰かける。お一人様同士、明日の予定を聞き合ったりするが、単独で来ているだけあって、みんなそれぞればらばらに、目的の山、行きたい道、がある。北穂を見つめながら、奥穂を見上げながら、北穂と奥穂を結ぶ稜線上にある涸沢岳とその稜線を目で辿りながら、それぞれに自分の明日の山を夢見ている。わたしは明日どっちへ登ろうか。
朝起きて、テントから顔を出すと、臙脂の女性が、もうさっそく前を通る。今回は絶対北穂を踏むと、昨日熱く語っていた。決めた。北穂に登ろう。 予報通り、このあと雨になるのだろう。それなら早く出発だ。ルートは空身で北穂ピストン。身支度をして、臙脂の女性より30分遅れて、一人出発する。
穂高二度目にして、なんと今年は紅葉真っ只中の涸沢である。涸沢は3000Mを超える穂高の山々に囲まれた広いカール(2300M)である。西に奥穂高、奥穂から南へは前穂高への吊尾根、その先をずっと辿れば東の屏風岩まで、奥穂から北へは涸沢岳・北穂高と稜線が連なる。穂高の威容を見上げながら、谷と山腹は、高度によって、また一日毎に黄からオレンジ、赤へと濃くなってゆく。オレンジの頃も、真っ赤なのも、どちらも涸沢の紅葉として名高い。山に登る人間は一度は涸沢の紅葉を見たい思う。見ごろは例年ちょうど10月の連休頃で、その連休は半端ない数の人が涸沢に集まる。それでも広い涸沢は、そのたくさんの人を懐に抱えるのである。思い立って出かけたのは9月26日だった。まだ紅葉にはだいぶ早いはずの中途半端な土曜日、実は全然紅葉目当ではなかったのである。
日曜朝の上高地は人も少ない。上高地で人と語らうこともなく、おにぎりだけ食べて歩き始める。前夜、夜行バスの出発までの時間、ダンス部時代の先輩が呑んでいるお洒落な飲み屋に顔を出した。テントまで入っている65Lのザックはバス乗り場に置き捨てて、山の格好にサンダルをつっかけていた。一人は年が経つごとに親しくなる同性の先輩。他の二人は7年ぶりくらいに会う、学生時代もほとんどしゃべったことのなかった海外帰りの先輩と、同じくらい久しぶりの、ダンス部卒業後も同じ銀行で銀行員をやっていた因縁のある先輩だった。-7年ぶりに会うダンス部の、銀行の後輩のオンナは、どうしてしまったのか、驚いたことにどうやら山にはまっているらしい。。。わたしは「なぜか山にはまってしまった山好きなオンナ」だった。7年を経て会う先輩の前で、わたしはそのことを自覚した。わたしはこれから、一緒に呑んでいる先輩たちと別れ、一人テントを担いで穂高へ向かうのだ。自分の選択として穂高へ行くということが、何か一言発する度に、自分のものになっていった。「わたし」と「山に登ること」が、直接つながった瞬間だった。上高地から歩きだしたとき、あらためて、「わたし」と「山に登ること」が同じものであることを感じだ。穂高に向かって歩くことが、わたしにとって当然の道になっていた。
Ⅳ
ずっと向こうまで続く雲海の、向こうの方がうっすらピンクになってくる。東側はずっと遠くの方まで山がない。広く広く、無限に雲海が広がる。 写真を構えたおじさんは、だからこの山頂はつまらない、と演説している。ご来光の写真を撮っても、特徴のある山が写らないから、どこだかわからない。文句を言いながら、それでも立派な一眼レフを構えてご来光を待っている。 水平線のような雲海の上も、雲がかかっている。ご来光はどうだろう。果たして拝むことができるだろうか。祈る気持ちで瞬間を待つ。雲海の向こうのピンクが広がってくる。一箇所の光が強くなってくる。あそこに太陽がいるようだ。場所を確定し、その一点を見つめる。日の出の時刻を少し過ぎたとき、その一点が、強烈な光を放った。 わたしはここにいる。先週と今週と、二週連続でここに立っている。なんて素晴らしい、なんて奇跡的なことなのだろう。普通にはあり得ない、なんてありがたいことなのだろう。そう、まさに「有り難い」ことなのだ。太陽は半分姿を現したところで、今度は頭が、雲の中だ。雲と雲に挟まれ、ちょうど胴体だけが、形を見せて輝いている。そんな太陽が、雲海の向こうにいる。ここにいることを。ありがとうございます。 テント場へ戻る道は、正面にさらに素晴らしい朝の剣・立山。大満足に、笑みがこぼれる。 白馬の頂上に、もう一度立った。もう充分だ。わたしは満たされている。 あと一泊する白馬三山ピストン計画も、鑓温泉で一泊する鑓温泉ルートもやめた。白馬朝日を縦走して休む間もなくまた白馬へとわたしを運んだわたしの足が、静まったわたしの心へ訴える。帰ろうよ。うん、帰ろう。スタンダードな栂池ルートで、今日中に帰ろう。お家に帰ろう。朝ごはんを食べ、テントを片付け、テントを背負って歩きだす。もう一度、白馬の頂上へ向かう。青い空に、剣・立山が輝いている。長い長い今日の歩行が始まる。
Ⅲ
いつか着く、どんなに足が動かなくてもいつか着く。そうはわかっていたけれど、テント場は果てしなく遠かった。やっとたどり着いたテント場で、先週と同じようにテントを張り、お隣さんに呑みましょうと声をかけ、先週と同じように小屋でメンチを買う。500円の缶ビールをしゅぱっと開ける。明日はどちらに?なんて話しながら、先週踏んだ白馬の頂上に思いをめぐらす。 後発隊3人が無事合流し、一晩眠った翌朝。私たちは5人で歩き始めた。白馬の頂上までは、コースタイム約30分。傾斜もそんなにきつくない。シャリバテだった人も、前日のシャリバテが嘘のように軽快に行く。電車に乗り損ねた詩人が振り返って叫ぶ。「ほら、見なさい!」。振り向くと、真っ青な空に、剣岳。重い荷物も忘れ、剣岳に見とれる。そして、頂上への足が速まる。 きれいだったなぁ。先週見たばかりの、頂上からの眺めを思い出す。空は真っ青で晴れ渡り、敬虔な気持ちが湧き上がるはずの素晴らしい山々。立山連峰、そして剣岳。感動と達成感に浸り、祈りに似た感情が生まれるはずだった。きれいだったなぁ。 わたしはその白馬の思い出の中に、今までの数少ない山行で必ず感じてきた、自然を敬い、一体化する摩訶不思議な喜びを再現することができない。あの祈りのような、ちっぽけな自分が生きている感謝、大自然に対峙し、その大自然の中にいる感動。そういうものが、全く思い出せない。そのことに気付いたとき、わたしは焦りを覚えた。朝日岳までの長い一日、その後も続くはずの山行への不安、ここに来るまでに感じてしまった疑問符。わたしの魂は、たぶん純粋に自然と対峙することができなかったのだろう。現世の宿題を抱え、美しい雄大な自然を前にしていながら、その真っ只中に浸かってしまっていたのだろう。あんなきれいな景色を見て何も感じなかったなんて。もう一度、白馬へ行こう。もう一度、白馬岳の頂上に立とう。そう思い立った結果、今またここで、缶ビールを呑んでいる。 明日は頂上でご来光を待つことにしよう。
Ⅱ
たった一週間で大雪渓のルートは若干変わっていた。その大雪渓を登り切ると、急登とお花畑だ。お花畑と言っても坂のきつさは変わりなく、ただ気分的には歩いていればいずれ辿りつく、と思うことができる。歩いていれば着く、歩いていればいつかは着く。そう言い聞かせても、なかなか進まない。シャリバテにならないよう、おにぎりとカロリーメートだけは、必要以上にしっかりと食べる。 「シャリバテ」その言葉は先週知った。そしてわたしたちのパーティーの中で、流行語になっていた。 後発隊は、お昼頃出発したようだ。わたしとリーダーは考える。12時過ぎに出発したら、白馬尻が2時ぎりぎり。大雪渓は2時までに入らないといけないから、後発隊は今日は白馬尻で停滞かな。大雪渓を登りきり、急登を休み休み行く間、すでにしんどくなっているわたしたちはそう見当をつける。お花畑を抜け、這うように最後の急登を終える。テントを張って身支度をして、そしてやっとビールに辿り着く。リーダーはすでに生ビールを片手に、スケッチをしている。生ビールのとなりにはメンチがある。それにしよう。わたしも缶ビールとメンチを手に入れて、リーダーに並んで、目の前の白馬槍を眺める。また今日も二人かな。明日はどこ登って待っていようか。白馬槍まで行けるんじゃない?あ、それいいですね。 そろそろテントに戻ろうか。おなかすいたし。そういう時間になっても、後発隊からは次の連絡がない。もしかして登っているのかなぁ。その低い可能性が、だんだん確信になってくる。2時に登り始めたら、頑張っても5時。白馬尻からのわたしたちでさえ、疲れきった大雪渓とそのあとの急登。3時間は不可能だ。今日の日の入りは?6時半、7時頃までは明るいだろうか。目標の時間は日のある間、ですね。おなかすいたけど、ちゃんとした食事はみんなを待つことにして、お酒と、とりあえずラーメン一つ分を食べようか。ちょこちょこ抓んでいると。おーい。おーい。見上げると走ってくる人がいる。おーい。後発隊だ!歓待体勢で彼を迎えたが、彼はミッションを持っていた。空身で戻り、他の二人の荷物を手伝うこと。一人が「シャリバテ」で歩けないらしい。体力のある彼はもう一度暗くなりつつあるお花畑の方へ戻っていった。 それから30分ほどかかっただろうか。もう暗くなったキャンプ場へ、後発隊の3人が到着した。電車に乗り損ねた一人は、先発のわたし達が迎えに行かなかったと文句を言う。まあまあ。来るとは思わなかったですもん。食べ物持ってるんだから来なかったら怒られるじゃないか。来るに決まってるだろう。いやぁ、すみませんでした。疲れちゃって。そして「シャリバテ」の一人は、シャリバテになったことにショックを受けていた。昼から登りはじめるからと、夜行の中でずっと呑んでいたんですよ。だから朝ごはんもろくに食べないて、それで登りはじめちゃったんです。 シャリバテにならないよう、ごはんとカロリーメートを食べながら、先は知れているはずなのに延々と続きそうなお花畑を、今日のわたしは一人で歩く。
Ⅰ
わたしは今、大雪渓を登っている。 ちょうど先週、登ったこの大雪渓を。 ―足跡に足を合わせて踏んで。 ―直線のラインを歩くんじゃなくて、ガニ股で。 リーダーの声が頭の中をまわる。 先週。そう、先週。 リーダー以下5人のパーティー。白馬から栂海新道縦走、という長大な計画の初日。先発隊はリーダーとわたし。翌日3名が登ってくる、という計画。つまり、リーダーと二人で縦走は始まった。台風が来る来ない、と気になる天候。雨の中白馬尻まで1時間だけ歩き、今日はここまで、と白馬尻停滞を決定。まだ朝の9時。雨を歩き身体が冷え切ってしまったわたしは、1週間の長い行程を思って不安を覚えていた。ここで体力を消耗するわけにはいかない、と。自分の体調に対する責任で張り詰めていた。まだ朝であるし、さっさと小屋泊まりを決めてすぐに眠りたい。リーダーはすでに一杯目の生ビールを飲み終え、燗酒を注文してのんびり時間潰しの態勢である。小屋に泊まりたいです。寒さと眠さと緊張でいっぱいいっぱいの私が言うと、リーダーはちらっと私を見て言った。なぜ小屋なのかわからない。寒いのは食べていないからだから、まず食べよう。リーダーは言ってくれたけれど、ご飯を食べてからも冷え切ったわたしは相変わらずで、風邪ひく寸前であることを自覚していた。もう一度小屋泊まりを言い出したら、きっとこの縦走がぶち壊しになる。それじゃあ。もうテント張りませんか。あっさり肯定され、テントを張り、寝袋に潜り込んだ。 あのときは緊張していたなぁ。 蘇ってくる映像を、そのまま、ただ反芻する。今のわたしは、確かに大雪渓を踏みしめている。目の前に広がる大雪渓を、現実のものとして改めて見上げる。 もしもーし。お茶飲まない?お向かいのテントからリーダーに声をかけられたのは、3時くらいだったか4時くらいだったか。お茶を飲んでいたのがいつのまにかお酒になり、晩ごはんになっていた。まだまだ宴会を続けたいリーダーを一人残し、昼寝をしてもまだまだ眠いわたしは7時には再び寝袋へ戻ったのだった。 翌日は、おかしなことになっていた。わたしたちが、ではない。後発隊が、である。まず、食糧を持っている重要人物が予約の夜行に乗り損ねていた。荷物を預けたコインロッカーの開け方がわからずパニックになったとか。それから静岡を中心に東京でも地震が起こっていた。情報を総合すると、食糧を持った重要人物が乗り遅れて、地震の影響で朝の中央線が止まって、重要人物はあずさではなく東京から長野新幹線に乗るらしく、食糧を分担するためにあとの二人は白馬駅で待っているようで、そのうちの一人はすでにご機嫌に酔っ払っているらしい。後発隊を気にしながらも、わたしたちは上で待つことにする。 うしろを歩くわたしのペースが気になってしまうリーダーが、雪渓の途中で止まった。歩き方を見たいから前を歩いて。 あれからまた緊張一色になっちゃったよなぁ。 リーダーの言葉を思い出しながら、緊張は解き、大雪渓を見上げる。 今大雪渓を見つめているのは確かにわたしで、 大雪渓を踏みしめているのは確かにわたしだ。 大自然の中に心を委ねる。 リーダーの言葉を思い出しながら、そのアドバイス通り、足を出す。 わたしは今、もう一度大雪渓を登っている。 |
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