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流されるままに。
呑んでいればご機嫌。
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起きている間に収集した情報は、寝ている間に自然に整理される、というのが、多忙な毎日を送っていたとき実感から立てた仮説。混乱した変な夢というのは、頭の中の情報を整理している、そのとき回線が混乱しておかしなストーリーができるのだと思っている。
ところが、このところ、寝ても寝ても頭がすっきりしない。寝ている間、脳が整理されるどころか、完全に動きを止めている。どうやら頭にメモが散らばっていて、さらに同じものがどんどんコピーされてゆき、スペースがなくなって収集がつかなくなっている状態、というのが、今の自分の状態のようだ。 瞑想チャレンジしてみた。 途中から頭に直接酸素がいく感じになる。頭がずきずき痛くなって、治療されている感じだ。 仕事のこと、去年のこと、一人になった今何かをやらなければと思っていること、そんなことが、頭の中で延々と堂々巡りしていたんだ。普通だったら眠っている間にやってくれる整理作業を、脳がキャパオーバーでやらなくなっってしまっている。今何もやりたいことがない、というのが私の中の問題のようだけど、瞑想によって整理されて脳にスペースの余裕ができたら、それから思考の種が根を張っていかないようになったら、一番すっきりした、一番自然な道が見えてくるに違いない。 PR
彼にとって、わたしには、恋人にしたいと思う魅力がなかった
その事実を受け入れると、楽になった。 頭(思考)の混乱はクリアになり、心は楽になった。 ところが、問題はどうやら心に留まらないようだ。 頭痛、動悸、眠りすぎ、やる気が起きない状態。 わたしの症状は、どうやら自律神経失調症のようである。 自律神経失調症とは:交感神経と副交感神経の2つから成り立つ自律神経のバランスが崩れた場合に起こる病気。夜更かしやストレスなどで脳を休める時間が減ると自律神経が興奮し、結果的に交感神経と副交感神経の優位入れ替わりのバランスが崩れ、自律神経失調症となるとされている。 強いストレスは現在感じていない。ウツになるような心の状態でもない。それでも自律神経は乱れるのだろうか。そして見つけた「脳と神経のお話」というサイト。(http://www.smile-genki.net/brain1.htm) 「人間の脳を大まかに説明すると『大脳皮質』『大脳辺縁系』『視床下部』という構造になっています。 「『大脳皮質』は知覚・判断・思考・記憶などの高度な精神活動を司るところです。 『大脳辺縁系』は、喜怒哀楽や食欲・性欲・集団欲・睡眠欲などの動物的欲求が生じるところです。 『大脳辺縁系』から出された欲求が『視床下部』へと伝わります。さらに、『視床下部』から『中枢神経』と『末梢神経』に指令が出されます。 ただし、人間は『大脳辺縁系』から出された欲求全てを、行動に移すことはしません。『大脳皮質』では物事を判断することができますから、食べたい・泣きたい・ねむたい・・・という欲求をこらえたりします。 こういった制御があまりにも強くなって、人間を抑圧するようになると、『大脳辺縁系』と『視床下部』のコミュニケーションがうまくいかなくなり、自律神経のリズムが乱れてしまうことがあります。」 思い当たるのは、「制御」と「抑圧」。去年の一年間、わたしは脳で考え、それに合わせた行動をとっていた。恋愛感情を避け、白黒をつけたい欲求を我慢し、疑問も解決せずに全てを受け入れ相手を理解しようと努めた。泣きたい、愛されたい、抱きしめられたい。その欲求はお預けだと言い聞かせていた。それは、自分の意志で決めたものだった。「心」が多少悲しんでも、疑問を持っても、心理的なコントロールはできるはずだった。ところが、「『大脳皮質』を使って物事を判断」し、「欲求をこらえ」ていた、ということは、「『大脳辺縁系』から出された欲求を、かなりの強さで抑え付けていた」ということになる。制御があまりにも強くなって、人間を抑圧する状態になっていた、ということだ。そうすると「『大脳辺縁系』と『視床下部』のコミュニケーションがうまくいかなく」なって、限界を迎えたのだ。心は自己ケアできるようになっていたが、脳神経は悲鳴を上げていたのだ。それが今の私の状態である。 自律神経は、「自律神経」と言うだけあって、自分の意志とは関係がない。自律神経がバランスを崩してしまったら、少し外部の力を借りたほうがいいかもしれない。
とにかく眠る。目が覚めると、声を上げて泣いてしまう。
泣き疲れると、また眠っている・・・。 何かを考えると、割れるように頭が痛い。 ちょっとは悲しいこともあるけれど、そこまで痛くないのに、 むちゃむちゃに泣いてしまう。 悲しいけれど、あったかい愛情も感じている。 頭が痛い。 とにかく眠ろう。。。 避けたい思考。これらが、たぶん衝突。 1彼を人間として冷たい人間だと判断すること。 2彼に、振り回された、と考えること。 3私が彼に異性として魅力を感じていなかった、と認識すること。 4私は異性としての魅力がなかった、ということ。 1→自然好き。その辺の感覚が信用できる。 冷たいのではなく、自分を守るために、自分の人生に決めている 思い込みがある。本当はやさしい心を持っている。 2→わたし自身が楽しんだ。楽しませてもらった。人生で一番楽しい 一年で、人生の楽しみ方を教えてもらった。 1.2をNO、と言い切ると、3が出てくる。 3→彼が恋愛から逃げ回っているから、恋をしないよう、自制していた。 彼が私といられるようにしてあげたかったから、自分の感情は 抑えていた。だから、確かに一緒にいるときは恋していなかった。 →離れて、彼を恋している気分に浸ってみた。 →久しぶりに彼と会った。前より色々なことを楽しく話したが、 家に行くことは断られた。 ここで4が出てくる。 4を認めたくなくて、4を否定したくて、 それでも4を明快に否定できないことがなんとなくわかって、 それでわたしの中の女の子が苦しんでいたんだね。 女の子のわたしが、思考を止めちゃってたんだね。 答えを知りたくないから。。。 恋愛ではなくてもいい関係を構築したくて頑張った一年。 絶対に、彼からは信用されているし、やっぱり好きだし仲良しだし。 でも、恋人になれない。。。 その答えは一つ。 わたしに、恋人としたい魅力がなかった
明治39年(1906年)8月25日、碧梧桐はまだまだ犬吠に遊んでいる。「九十九里という処は一種風俗のかわった土地で、面白いことがいくらもある」という。たしかに、碧梧桐の見た漁師の世界、面白い。網主という地引網の持ち主が非常な権力を持って漁師を抱えている。この網主、「己が旦那」のために命を惜しむ抱え子はいない。
「鰯の漁のある時は、一種の呼び方をして村々を振れ廻る。そうすると、遠きは二里三里の陸の者までが、網を引きに寄って来る。その引き賃に鰯を分けるのはどこもかわった事はない。ただその分け方が変わっておる。一人の男が自分を中心にして砂の上に杖か何かで円を画く。その円の中へ山のように鰯を盛り上げてそれを升のかわりにして一杯二杯と盛って行く。砂原に鰯の山が十も二十も出来る。大漁の時には一人組の漁と言い、だんだん少漁の時ほど五人組七人組の漁などという。つまりその鰯の山を一人で占める時と、五人七人で分配する時とで、そういう名が出たのである。」 2002年12月2日。インドプリー。喧騒のカルカッタに、一週間で疲れてしまった私は、ハウラー駅から夜行列車に乗り、南へ向かう。行き先は、海の町、プリー。駅からリクシャーで約10分。一番奥の、一番海に近い、サンタナ・ロッジを宿にする。 海岸は、端から端までゆっくり歩いて、1時間くらいだったのだろうか。漁を終えた男たちが、船を浜へ引揚げる。砂浜にぴかぴか光る魚の山がたくさん作られている。子どもたちは、ペットボトルを見ると水をくれ、カメラを見ると撮ってくれ、と寄ってくる。男たちも、自分を撮れと集まってくる。カメラを向けると、こちらを睨みつけたような笑わない男たちが、カメラに向かってポーズをとるのであった。 明治39年(1906年)8月27日。「大きな笊を背負って、手に味噌濾しようの物を下げた女が、果物や餅菓子は如何様と売りに来る。(中略)時には作った真桑でうまいから是非一つ買えと強迫する。」 2002年12月。プリーでは、頭に籠を載せたバナナ売りの女性がやってくる。一度はあのバナナを買おう、そう思っていたが、買った記憶が浮かばない。きっと買わなかったのだろう。 明治39年(1906年)同日、宿では「板を持って飯ごとに注文を聞きに来る。」メインはやはり魚だが、嵐が来てからはメニューがオムレツ、五色あげ、しぎやき、などに変わったようだ。 2002年12月。プリーのサンタナでも、その日の晩ごはんの注文を、メニューを持って取りに来る。プリーは魚の町だから、焼魚定食もあるし、オプションで刺身もあるのだ。 明治39年(1906年)同日、碧梧桐は犬吠に飽きてくる。「もうここも飽きた」碧梧桐は、熱を出したり腹を下したりして、結局29日に犬吠を発つ。碧梧桐の犬吠は、9泊10。 2002年12月7日。テリーも去った。ショウタも去った。わたしもそろそろプリーを発とう。私のプリーは5泊6日。
2007年4月。残ってしまった青春18切符を使いたい。もう少し若かりし頃、青春18切符を使って乗り継ぎ乗り継ぎ、「地獄谷温泉」へ一緒に行った先輩へ会社からメールを送ってみる。青春18切符なんぞを使った鈍行の旅を嫌いな人もいる。仕事中のはずなのに、即行返信メールが来る。「犬吠はどう?」
JRの切符を使うのが目的だったが、銚子から犬吠までは「銚子電鉄」である。中吊広告が手作り、一両編成で、車掌さんにお金を払って乗り降りする。広告をよく見れば、銚子電鉄で作って売っているいわしやさんまの佃煮。なんとも旅らしい旅気分になってくる。齢30歳のわたしは、旅好きになっていた。 明治39年(1906年)8月20日。上総一の宮から成東まで、徒歩9里、車2里を移動した碧梧桐は、さすがに疲れたようだ。「もう九十九里を拾うてあるく勇気はない」、として、成東から犬吠までを汽車で移動している。そして暁鶏館に宿を取り、犬吠に「一週日の籠城をする心積り」になっている。 暁鶏館。それは明治7年創業の由緒あるホテル。明治31年4月2日に島崎藤村、明治33年3月3日に国木田独歩が投宿している。碧梧桐は明治39年8月20日。大正元年には高村光太郎が妹と来ていた智恵子と再開し、大正8年元旦に若山牧水が訪れている。2009年現在、「当館おすすめのスタンダードプラン」はお一人様一泊二食付き13,650円(消費税込、休前日5,250円増し)とある。 2007年4月。わたしたちの宿は犬吠崎観光ホテル。直前にも関わらず予約が取れて、ラッキーだった。「すべてのお部屋から海がご覧いただけ」るはず。ところがわたしたちが案内された部屋は、予想外に6畳程度の薄暗い部屋であった。従業員用か、布団部屋か。それでも露天風呂を楽しみ、翌朝の日の出に期待をかける。犬吠は、日本で一番早く日の出が見られるのだ。露天風呂でのぼせるほど粘ったが、翌朝は生憎曇り。太陽は雲に覆われたまま昇ってしまった。 犬吠埼の先っぽを気持ちよくお散歩したら、一泊旅行は終了へ向かう。地域みんなで一生懸命盛り上げている銚子電鉄の犬吠駅で、いわしの佃煮とさんまの佃煮を山仲間へ、買い込む。 ★銚子電鉄★ 1922年10月10日設立 2009年4月現在従業員24名。 横領事件、経営破綻などを経ながらも、少人数で頑張っている。
上総一の宮に過剰反応して、軽く飛ばしてしまったが、碧梧桐が昼飯を食べた御宿である。
1996年3月。わたしの目的地は、御宿の「ホテルニューハワイ」。ホテルニューハワイ!「月の~砂漠の~」という滝廉太郎の名曲とともに、違う時代へのトリップのような気分である。わたしが行くところは、日本だよね、わたしがいるのは平成、だよね。外房線の中で、何度自分に問いかけただろう。ホテルニューハワイへ行くのは、当時所属していたダンス部の、大学を超えた遊び企画で、他大との交流を目的とした、大合宿が、ここで行われるのであった。御宿に到着すると、冗談ではなく、本当に宿の名前は「ホテルニューハワイ」であった。海さえも見ず、いや、海岸を散歩したような気もするが、宿に籠って遊んでいた記憶しかない。他大の先輩の、試合で結果を出しているような憧れのダンサーの、直接のレッスンを受ける。昼間はごろごろして、夜は呑んだくれる・・・。あぁ、麗しき学生時代。碧梧桐は、「房総の景色を見ようとするには是非とも御宿以南に足を入れねばならぬ」と言っている。足を入れたのに、平成?という驚き意外が記憶から抜け落ちているのが、もったいない。ヤマザキでお菓子を調達したような気もするが、朝夕の食事もつくし、碧梧桐が昼食をとったような食堂が、この地に存在していたんだ、わたしはこの御宿の何も、何一つ見ていなかったんだ、ということが、あらためて感じられる。 こういう旅が目的ではない旅、というのも、若いころにはあったのだ。景色を見るよりも、心に何かを感じるよりも、日常から逃れた考え事をするよりも、自分を取り戻すよりも、ただひたすらその場を楽しむ、先輩の中に入ってどこでもできるような遊びに夢中になるのが一番の、そんなときも、あった。 明治39年(1906年)8月17日。雨。「雨を犯して出発すると、雨はだんだん強くなる。御宿で昼飯を食うて、大原行きの馬車に乗った。」碧梧桐の記録も、たったそれだけである。
2007年12月31日。鎌取にて年越し。大きな焚火を囲み、ちょっと狂ったNew Year's Day。funkyなアメリカ人と、年下の男の子と。
Mike:Are you a boyfriend & a girlfriend? Kiyoshi:I hope so. Akiko:Not yet. 2008年1月1日。初星を見上げながら鎌取の駅へ。上総一宮で初日の出、のつもりだったが、もっと海岸に近い駅がある、と聞いた。駅近くのコンビニで地図をチェックすると、東浪見、という駅が九十九里の海岸に一番近そうだ。初日の出は東浪見でつかまえよう、と合意。 明治39年(1906年)8月17日。碧梧桐は雨の中勝浦を出立し、御宿で昼食、大原まで馬車に乗り、そこから一の宮まで汽車の人となる。東浪見辺りは、汽車からの眺めになっている。 2008年1月1日。日の出時刻は6:49。東浪見着6:18。日の出をつかまえる!その一念で、走る。海岸へ向かって。明るくなってきている方向が、きっと海だ。走れ走れ。路地を行き、大きな道を渡ると、田んぼの中になる。松林が見えてきた。海はもうすぐそこだ。松林を抜けると。海!泣きたくなるような、そこは海。ぷかぷか浮かんでいるのはサーファーで、波に乗っていたサーファーたちは、日の出が近づいてくると、そろって沖の方を向き、ぷかぷかと漂っている。太陽は、もうすぐこの世にやってくる。暖流の上にできた雲の間から、強烈な光が洩れる。波がきらきら眩しい。 明治39年(1906年)8月18日。碧梧桐は、歩く歩く。上総一の宮から片貝、東金まで徒歩9里(36km)。「九十九里の砂原は、飢え労れた予には、ゴビの砂漠であった。馬の荷高なのが隊商の駱駝かとも疑われる」。東金から成東鉱泉まで車で2里。 2008年1月1日。東浪見からのローカル電車。あのときわたしの横で爆睡していた人は、わたしを通り過ぎていってしまうのだろうか。旅で出会った、他の人と同じように。
碧梧桐の旅のスタートは、千葉、である。正確には、両国で汽車に乗るところから始まるのだが、やはり千葉から、と言いたい。「せめて千葉まで」と言う仲間ととも千葉まで来て、まどろむひまもない別れの一夜、その一泊を終えて、碧梧桐にとっての旅が始まる。曽我野、八幡、木更津。勝山、那古、館山。洲崎 、千倉。小湊、勝浦、上総一の宮。片貝、成東、犬吠埼。ここまで来て、あまりの面白さに、もう一度千葉から辿りなおす。
地図帳を広げる。鹿野山、鋸山も載っている。「初秋や入鹿も見えて鷗飛ぶ」碧梧桐は仕様もない句を作っている。 しばらく碧梧桐の文章を鑑賞しよう。碧梧桐は、たまに自嘲する。「途中雨に降られて、荷物を五十ばかりの婆さんに負うて貰うたのは我ながら滑稽に類する」(@那古)「真黒に焦げた大勢の中へ交ると、自分の生白い身体が如何にも見すぼらしい」(@勝浦)。 那古では盲目尼が謳う姿を描写し、「煤ぼけた仏像そのままに見える。」と最高の褒め言葉を送る。その老尼が謳う姿から導いた結論は、行基まで遡ってしまう。「行基の遺業は今この尼前にのみ残っておる」。 波太島では、ここでは島主は「仁右衛門」で通っているが、隠居の仁右衛門の顔を「何となく奥行きのあるしっとりとした顔」と評しつつ、島の様子を書いている。当主の仁右衛門の子供に、ぼっちゃま、と言いながら漁師が礼の厚いお辞儀をするところなどを切り取ってみせる。 名刹清澄寺と、歴史の浅い誕生寺を比較し、誕生寺の雅趣を描いているところなどは、子規の文章を思い起こさせる。誕生寺を書いたところの結末は、「この宿屋で風呂に入ると、湯の中に小さな蝦と蟹が浮いておった」。 なかなか味がある目線で、気付くとわたしは、ふっと笑っているのである。 なぜこんなにも惹きつけられるのか。文章もいい。見るところが味がある。それは認めるが、それだけではないことも認めなくてはならない。碧梧桐が歩いている場所、が心に訴えてきている。千葉という場所の力が、小さくない。おそらく多分に、個人的な理由である。千葉、或いは房総に、どっぷり浸かったことは、ない。それでも、この辺りには、小さな、こまごまとした想い出の欠片が、散りばめられている。その欠片と碧梧桐の旅が、シンクロする。ああ、欠片と旅が、シンクロしていく・・・。
今、師が河東碧梧桐の評伝を執筆中である。尾形亀之助、小川芋銭に続く企画である。私も参加している俳句同人誌『ににん』に連載されている。せっかくの機会だから、師を追い、碧梧桐を追い、師とともに『三千里』を辿ろうと思う。
碧梧桐についての予備知識は、ない。昨年、師のゼミで、正岡子規『病壯六尺』を読んだ。関連して、『墨汁一滴』に出会った。子規は病床にありながら、好奇心にあふれ、弟子たちに面白い情報を持ち寄らせていた。その「弟子」の筆頭が、高浜虚子と河東碧梧桐であった。虚子が「ホトトギス」を継ぎ正統俳句の祖となり、碧梧桐は自由句へと袂を分かつ。わたしの師は、碧梧桐びいきである。わたしはと言えば、虚子の句はよくわからない、碧梧桐に至ってはどんな句があるのかもわからない。 なんちゃって山オトコでもある師にとって碧梧桐は単なる俳人ではない。師にとっての碧梧桐は山の先輩、大歩行人なのである。自称「旅人」のわたしも、師にくっついて山に登るようになった。碧梧桐は、きっと面白いに違いない。
この日わたしが陥った恐怖を、書いておくべきだろう。
布団にもぐりこんでから、脳が妙に動いている。ところが、だからと言って、うまく脳が回っているとは思えない。いっぱい回っているのは確かなようだ。つまり、なんだか、空回りしているようなのだ。何も考えていないのに、頭の中で何かがぐるぐると、すごい勢いで回ってはいる。そう、脳がなぜだか興奮している。けれど、何一つ生み出したり整理したりはしていないのだ。まぁ、落ちているよりはいい。身体も動かず、脳も止まってしまっているような状態が続いていた、それより、脳が動いているほうがいい。そう思っていると、なんだか脈も早くなってきたようだ。脳がむやみに興奮している、その興奮が身体にも伝わっている。心臓がばくばくいっている。これって何なのだろう。アドレナリンが出すぎているのか。アドレナリン放出の目が、詰まっているのか壊れているのか、詰まるときは詰まり、出るとコントロールできずにどっと出る。そんなイメージが浮かぶ。コントロールできないのは、今までの人生でわかっているから、やる気になったときに勢いで、できるところまでやったほうがいい。それにしても、この興奮状態は異常である。取り立てて近い大きな目標があるわけではない、何もないのに、何かができるような大きな気がして、心臓と脳だけが回転を速めている。心臓と脳が異常に回転を速めている・・・?それって。もしかして・・・。死が近い、ということ?死が近いから、生き急いでいる?わたしの意志とは関係ないところで、何かの物質に突き動かされて、脳が、心臓が、異常な動きをしている。何かの物質は、何によって?大きな力、目に見えない力、神さま?死は、やっぱり誰かが決めていることで、運が良ければ事前にそれを感じられる、ということ?それとも、逆に自分身体の中の出来ごと?身体の中で、死が近いということを示す何かしらの信号が出て、それを身体の別の物質が受け取っている?だから、意味もなく、むやみにあせっているのだろうか・・・。わたしはもうすぐ、死ぬのだろうか。。。 |
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