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流されるままに。
呑んでいればご機嫌。
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会社が休みの日曜日。晴れている。暖かそうだ。起きよう。コーヒーを淹れ、洗濯機を回す。本は何を読もうかな。句の同人誌「ににん」が届いたばかりだ。これにしよう。師が碧梧桐の評伝を書き始めている。連載2回目が掲載されている。なかなか軽くは読めないものだから、これをじっくり読むことにしよう。
陰 突然、最近よくある、悲しさが襲ってきた。なぜ私は一人なのだろう。なぜ、おしまいに、私はしてしまったのだろう。なぜ一緒にいられなかったのだろう、わたしは。彼はわたしを好きなんだと、彼はなんでわからなかったんだろう。彼はわたしを好きなんだと、何でわたしはわからなかったのだろう。なんで今、一緒にいないんだろう。いや、わかっている。彼はわたしを必要としていたし、嫌いじゃなかったのも間違いない。にもかかわらず、一緒にいることができなかった、というのもわかっている。わたしが言い出したおしまいを、彼は選んだんだ。「一緒にいると楽しい。だから一緒にいました。でもこの先ずっと付き合っていこうとは、正直思えません。」それが彼の心だ。今でもきっと話せば楽しく話せる、けれど、そうしたらまた同じような、期待と期待しちゃいけないという抑圧とに挟まれて、しんどくなるのだ・・・。思考がここにはまると、抜け出せない。字なんて読めない。文字を目で追っても、言葉が入ってこない。頭が痛い。頭の後ろが痛い。動けなくなる。何もしたくない。何もしないでやりすごすしかない。横になって、じっとしている他ない。このまま眠ってしまうか。眠い。眠い。眠い。悲しい。泣きたい。抱きしめてほしい。誰かに抱きしめてほしい。抱きしめてくれる腕が、胸が、ほしい。誰がいる?誰がわたしを抱きしめてくれる?そんな腕があったら、それが誰であっても、今の私は拒否できない。壊れてしまう。わたし、壊れちゃう。壊れる前に、眠ろう。眠ってしまおう・・・。 陽 2時間程まどろんで、用事があって外出する。20代前半から75歳までの仲間たちの中で呑む。たくさん笑い、たくさんしゃべる。「わたしウツっぽいんです」「見えないわよ~♪」知的な刺激も受ける。外出先から戻ると、まず、パソコンに向かった。本のレビューを書く。4月に入ってマンガも含めて5冊目。5日にして5冊目。1月18冊、2月8冊、3月10冊。よって、今年の41冊目。この記録に気分が高揚。メールが来ていたのも嬉しく、何通かのメールに返信をする。次に今日の仲間との会話を思い出し、執筆中の氏へ、連載の感想文をメールする。今年は、碧梧桐を、師とともに勉強しよう。師についていこう。そう強く心に決めてお風呂に浸かり、さて寝よう、帰りはほろ酔いで、気持ちよく眠たかったのだ、と思い出して布団にもぐりこむ。ところが。脳が元気に動いている。俳句の同人誌の、次号一句鑑賞。私も係りが回ってきた。だいたい書く内容はできている。よし、書いてしまおう。もう一度パソコンを立ち上げ、一句鑑賞と選句の文章を書き上げる。そうだ、桜を見に、福島へ行こう。彼が学生時代を過ごした福島へ。彼が言っていた、三春の桜。それを見に行こう。電車で行くか、車で行くか。電車を調べると、始発に乗れば、三春駅から最初のバスに乗ることができる。9時には桜に着くから、日帰りも可能だ。いや、でもせっかくだから旅をしたらどうだろう。近くにYHはあるだろうか。福島県に5つある。きれいなYHで行ける距離。路線情報も調べて一つのYHに予約メールを入れる。山も、やっぱり一人で行こう。単独テント、できるだろう。あれもやろう、これもやろう。あれもやりたい、これもやりたい。あれもできる、これもできる・・・。 PR
東野圭吾「変身」
この小説は、事件に巻き込まれ、脳を撃たれた主人公が、犯人の脳を移植され、人格が変わっていく、というストーリーである。主題は、脳移植における倫理の問題だろう。そういう読み方も、愛の可能性という読み方も、サスペンスとしての読み方もできるが、わたしの個人的な関心は違うところにある。 京極瞬介の脳に支配されていく主人公、その過程は、京極瞬介の心の問題を解き明かしていくことと同義である。京極瞬介が、人を殺す衝動を持つようになる生い立ち。そこに「生きる」ことへの哀しさと愛しさを感じる。 人が性格や思考回路を形成するに至るのに、親との関係が、かなり大きく影響すると考える。20代半ばくらいで、理想の人間像や理想の環境と実際の自分との乖離に気付く。その乖離にあがくと、今の自分が形作られた経緯を考えるようになる。そして自分の意志ではどうすることもできなかった子供という時代におかれた環境に辿りつき、過去の環境と葛藤することになる。それを越えると、やっと「自分」という本当の「個」を獲得することができる。それが、私が考える、大人という人間への形成のプロセスだ。京極瞬介はまだ22歳。主人公は精神病院を訪れて、京極瞬介の「エディプス・コンプレックス」を認識したが、京極瞬介本人が、自分の凶暴性とその凶暴性に潜む、自己ではコントロールできない生い立ちの問題に気付いて克服していけば、彼は生きていけたかもしれない。主人公も、子供の頃いじめを受けていた。優しい大人しい人間として成長することで、その傷を押さえ込んできた。新しく獲得した積極性をうまく自覚してコントロールしていければ、主人公もまた、強い自分として、生きていけたかもしれない。 そんなことを思うことができるのは、しかし、個人の場合である。主人公と京極瞬介が、別々の人間として通常通り成長していれば、そのような成長が可能だったのでは、という仮説である。このストーリーでは、「他人の脳」なのである。他人の脳が形成されてきた、他人の過去を追体験していかなければならない。追体験する側の主人公も、される側の脳も、20代前半、である。自分の棚卸で精一杯の年齢で、二つの人生を辿るのは、それだけで充分しんどい。そこに、もう一つの脳が凶暴を志向しているということ、そして元の自分が侵食されていくことを自覚しているということ、という本来のテーマである大問題が加わったのが、この小説である。悲しいエンディングであるが、作者の人間という生き物への温かい視線が感じられる。京極瞬介が「悪」としてだけ認識される社会が、逆に私には恐ろしい。
屋久島一湊ビーチ。
とてもとても筆舌に尽くしがたい、屋久島縦走をした。 タイミングが合わず、恋人になりきれずに恋人を解消した年下の男の子と、屋久島に来ていた。 「別れ辛くなるから、屋久島はやめた方がいいんじゃない」私をふったとき、彼は言った。「大丈夫。屋久島は、行くよ」そう言い放って、断行した屋久島1週間の旅。前半の半分で、すでに第一目的の縦走-山-を終えていた。体力を心配し、本当にできるのか、でもこういう事情だから、もう二度と経験できないチャンスだから、もう二度と経験できない、というのは、屋久島経験者にたっぷり屋久島を味わわせてもらうこと、と、強烈に惹かれて行くところまで行かないと引くに引けなくてちょっと付き合った、けれどやっぱり恋人になりきれなかった人と旅をする、ということなのだけれど、そのチャンスをgetしたのだから、最高のコンディションで、最高にHAPPYに、過ごしたかった、でも、だからこそ、体力勝負の、想像を超える初縦走はプレッシャーだった。山に3泊。食糧全て担いでのテント泊。その縦走は終わった。無事に、素晴らしく、最高な印象で、終わった。あとは、ただただHAPPYに。すっごく惹かれて、絶対合ってて、でも彼が若すぎるというタイミングで、彼も私にまだまだ興味があって、でも自分の責任で付き合うことはできない、と判断していて、そんな間柄だったから、とにかく、今をHAPPYに。恋人になれないことなんて忘れて、タイミングが合わないなんて1週間には関係ない、ちょっとでも一緒にいられたことを、身体に刻みこむように。 浜ですでに2泊。この日、一日過ごすのは最後の日。尾の間温泉に浸かり、彼が3年前にテントを張っていた安房を散歩し、炎天にやられて安房を脱出、一湊の海を見ることにした。一湊はビーチで、海水浴場である。海を眺め、本当は、しっとりとした青春の気分に浸る予定だった。しばらく海を眺め、そして海の家チックなお店の椅子に座った。そこのおばちゃんがパッションフルーツをくれ、彼はいつものように、出会ったおばちゃんと会話を楽しみ始めた。私も旅先では誰にでも話しかけてしまう。そんなところがわたしたちは似ている。と感じていた、ところが。 私がおかしくなり始めたのは、この時だろうか、それとも海を見ているときだっただろうか。急に、私の心が翳りはじめた。楽しい幸せな半日を二人で過ごし、いまだ太陽が燦々と降り注いでいる、そんなとき。楽しいだけで終わらせたい、と体中で思っていた、そんなとき。私の心に忍び寄ってきた暗い影。。。なんでこの子は、こんなに明るいんだろう。それが最初だった。屋久島が終わったら、明日の夕方には、私と別れなければいけないのに。恋人同士のように仲良しで、友達同士のように楽しくて、それなのに明日が最後、屋久島が終わったら、もう他人にならなければいけないのに。なんでこの子は、こんなに明るいんだろう。 私の思考回路は、そこで折り曲げられた。恋人を解消するのは、了承済みなのだ。彼の言うことは、どんな困難な、恋人として淋しいことであっても、彼の言葉は、全部受け入れよう。そう決意して彼に会った日。言われた言葉が「付き合うのをやめましょう。」私はすべてを受け入れた。彼の言葉だったから。そして、彼の、その結論に至った経緯の思考回路は、それは違うよ、と言いたいところも、少し長く生きている人間からみてあったけれど、27歳の男の子が考えたこと、としては、頗る納得ができ、尊重してあげたいものだった。だから、私の思考回路が折り曲げられた。なんでこの子は、こんなに明るいんだろう。大好きなお父さんを、中学生で失っているのに、こんなに明るく、ポジティブに、そういう人生を、彼は自分の手で切り拓いた。そして「21歳からは全てラッキーなんだよね」と言い、全身で人生を楽しんでいる。すごいなあ。それに引き替え私は。恵まれているはずなのに、なんだかわだかまったままの学生時代を送り、20代前半で鬱になり、人生を嘆き、全くもったいない20代半ばを過ごした。20代後半はそれなりに自分の意志で、自分の足で納得いくよう生きてきたけれど、それは、過去の人生を嘆いたり、人生自体を嘆いたり、そんなことが根底にあって、結構「努力」でやってきたことだった。こんな明るく、楽しく考えることができたら、どんなに違った20代を送れただろう。私は、なんて詰まらないことに気を取られ、無駄な時間を送ってしまったのだろう。。。 彼は、沈みこんでいく私の前で、相変わらずにこやかで、私にも笑顔で同じように接し、そして、だからと言って、踏み込んではこなかった。 私の中で、別の考えが突如浮かんだ。これって、彼には関係ないよね。私が沈んでいっているのは、彼のせいじゃない。彼が私にひどいことをしたわけではなく、彼が私にひどいことを言ったわけではなく、ひどい環境に急変したわけでもなく、全くもって、私の脳が、勝手に考えたことなのだ。環境のせいにできない、一緒にいる人のせいにできない、私もさっきまで心地良かった、問題は私の脳、私の思考回路なんだ。翻って、彼の側になってみよう。さっきまで一緒にいて楽しかった。一緒に笑っていた。その女の子が、急に無口になり、笑わなくなる。楽しもうと思っていた旅が、楽しもうと思っていたこの日が、意味もわからず突然暗いものになる。自分が楽しんでいても、一緒にいる人が自分の足を暗い沼へ引きずり込んでいく。一緒にいたくない。楽しくない。なんで来たんだろう。この子の言うなりに屋久島まで来たのに、何でこんな嫌な思いをするんだろう。もういいや。別れてよかった。もう知らない。二度と会わなければいいだけだ。 一緒に来れたことが嬉しかった。一緒に来てくれたことを感謝していた。一緒にいるのは、想像をはるかに超えて楽しかった。それを全て、台無しにしようとしている、私の行動が。 |
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