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思い立って、三春へ行った。

「三春の滝桜」この桜の存在を知ったのは、その前の年の花見のときだった。「東京の花見は花の下で宴会なんだね。田舎ではね、一本の大きな桜を見に行くのが花見なんだ。」この一本の大きな桜、というのが彼にとっては「三春の滝桜」であり、この知識は、「田舎では」という括りではなく、滝桜に限定された知識だと、今は思う。ともかく、わたしの頭に「三春の滝桜」という桜が、刷り込まれた。

国の天然記念物となっている「三春の滝桜」は、噂にたがわず、その存在感は圧倒的だった。樹齢1000年を越え、幹周り9.5M、老木であるから、たくさんの添え木に支えられている。火曜日に開花し、昨日の金曜がもう満開だった、と人々が話している。因みに、今年の東京の桜は、開花から3回も週末を迎えたのだった。その最後の週末からちょうど2週間後のこの日、週末だから、満開の滝桜を目指して、たくさんの人がきていた。人々は一本の滝桜の前でとても小さく、滝桜に見守られているようであった。そしてそれであるのに、添え木に支えられている滝桜も、たくさんの人々の優しい視線に見守られているのだった。

三春町にある桜は、滝桜だけでなかった。山の上の滝桜から歩いていると、車道の坂道が桜のアーチである。目の前の桜のアーチの中へ、車が、バイクが、心地よい風を伴って入っていく。町までの間に、大きなしだれ桜も、寺ごとにある。椿と共生しているような、椿を幹が囲んで守っているような、不思議な桜もあった。三春は、花の溢れた、春のまん真ん中にあった。その春の真ん中の三春町に、わたしはいた。春愁を抱えての旅が、ふっと軽くなった。「三春の滝桜」を教えてくれた人に、花の報告をしたくて、テレカを買った。

碧梧桐は、三春に、秋に行っている。明治39年(1906年)10月9日。この地で句会を行っている。兼題は「柿」。

渋柿を食うて羅漢の何番目  水声
柿主を脅やかしたる土賊かな 碧梧桐

滝桜が国の天然記念物に指定されるのは、碧梧桐が三春へ行った16年後、大正11年(1922年)である。
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