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流されるままに。 呑んでいればご機嫌。
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9.27 今日から漁業支援外れます。一人専修に取り残され…。あ、よっしーがいた!

9.30 石巻で10/16(日)、おらほの復興市というイベントがあります。 遠いと思いますが、ぜひぜひ来てくださ~い。

9.30 お洗濯して専修に帰ってきたら、テントが倒れた!!とかで大変なことになってました。どうせ明日朝5時起きで撤収だから、今日は女子4人、ストアで寝ます。

10.01 こばちゃん帰っちゃった。よっしーも帰っちゃった。びっくりすることに、よっしーとも普通に会話できるようになったよ。すごいでしょ(笑)また寂しいと思う間もなくカスカへお引越ししました。専修テント村撤収です。そして専修へ通勤。長くいた人たち、本当にお疲れ様でした。

10.01 浜の、台風系の作業は一段落し、今日から前の続きの瓦礫撤去作業等に戻る、とのこと。行きたい!けど、わたしは復興市。

10.01 今一緒に働いている毛利さん、実ははじめまして、ではなかった。大川小を見に行ったことで自問していたとき、それを肯定してくれた地元の方でした。カスカで話す毛利さんを見て、全く別だった2つが繋がりました。向こうもああ、あのときの!と。不思議…。ついさっき気付き、お互い距離が近付きました。部長!これからもよろしく☆

10.02 まきこさんと石巻で再会(^.^)

10.02 さざんさんを見送る。何とも言えず…。

10.03 今日は晴天でした@荻浜

10.06 今日の運転、マジやばかった・・・ イオンから出るのわかんないっ。明るいとき行ってみなきゃ。

10.06 スティーブ・ジョブズ亡くなったんですね。スタンフォードの卒業式辞を教えてもらってからちょうど一年。とても深く感じたスピーチで、今のわたしを作る一部になっています。

10.07 専修のテント村、一気にお片付け。明日から専修学祭。ちょっとだけ寂しくもあり。でも、マンパワーってすごい。って思った。

10.10 エネルギーの蠢く真ん中にいる。まるで黒船が来たときのような歴史的時空間。意識を変えられた人から順に、腹の座ったエネルギーを獲得しているようだ。自分の場所に戻る必然を感じると同時に、よそ者のわたしが、このときこの場所にいることを、ラッキーだと思う。これは予想外の反応。

10.12 青年会議所OBの市民の方が中心で復興に向けていろいろ考えている中にいると、できるだけ安上がりな生活をしているボランティアではなく、対等に一緒にやりたいな、と思う。コンビニや外食、っていう意味だけど。つまり、ちゃんと稼ぐ生活をする、っていうこと。

10.14 石巻は秋です

10.14 雨降ってきちゃった。でもこれは想定内。

10.15 こんな感じで始まって…
    ステージも準備して…
    雨も上がったし、あとは本番を待つのみ!!

10.15 明日早朝少しがんばって、あとはみんなが来る♪

10.16 天気予報を覆す、まさかの本気の雨

10.17 朝3時、本気に降っていたけれど、
    開場の9時には雨も上がり、
昼間は晴天で暑いくらいの一日でした☆
予想以上の大盛況。
子どもたちの凧もたくさん上がってました。

ひとりでも、一瞬でも、明日が見えたと感じられたとしたら。

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9.20 アンパンマンの歌詞、泣ける(;_;)/~~~

9.20 昨日ゆざわっちが帰り、今日ジェニファーが帰り、千代ちゃんが帰り、寂しい(T-T)と言っている間もなく、台風により専修撤収、カスカへ避難。ばたばた。

9.20 疲れた~。でも大変だと寂しさは紛れます。カスカ帰ってきたし。明日も小渕浜作業はナシです。各地で災害が起きませんように。

9.21 ラジオ体操聞き取れるようになってきました。“腕ば回すっちゃあ”。英語のリスニングもきっと同じはず。

9.21 春潮楼、こうざん、避難勧告発令につき、カスカに避難。土嚢積んだりして備え中。今晩がピークです。みなさんはご無事でしょうか?お気をつけください!

9.22  せっかく日常が戻りつつある市街地が台風で再び冠水…。宿泊に使わせていただいている春潮楼も冠水。台風は去ったのにマンホールから水が沸きだしてくる。正直、この街は暮らしていけるんだろうか?涙出てくる。牡鹿の浜は大丈夫だろうか?道は?漁師さんたちは大丈夫だろうか?

9.23 地盤沈下75cmの現実。今日もがんばろ!!

9.23 星がきれい♪

9.23 ん???専修って池あったっけ?

9.24 専修の池。のどか~。鳥もいっぱい。ここはグラウンドです。

9.24 浜行きたい!今日はお留守番でゴミとトイレ掃除と給水車の引き継ぎ(><*)ノ~~~~~浜行きたいよ~。でもしょうがない。誰かがやなきや…。あと一週間だけだから、がまんしよう。

9.25 隣の浜でTAKUちゃんを見つけた。長期でいることに決めてから仲間を見送るばかりだったから、わたしが言うのもおかしいけど、帰ってくる人がいる、というのが嬉しかった。

9.25 小渕浜の漁師さんに電話した。わたしは組織で動いてるから、小渕は後、と言われたら小渕には行けない。回収した漁具は、また流されたそうだ。何度でも起き上がりますよー、と言っていた。絶対行きますから、と約束した。心折れないで頑張ってください。早く行けるよう、他の場所もがんばろう。
9.12 仲秋の名月@石巻。月、きれいです。みなさんの町ではどうですか?

9.13 今日も暑いのかなぁ。。。

9.13 瓦礫撤去4日目朝。何日かかるだろう?

9.13 あやちゃんお見送り~。きっと次会うのも石巻。いってらっしゃ~い

9.13 一昨日は真夜中にサイレンのような携帯アラーム、昨日は寝言で叫んでいる人がそしてわたしはハルカちゃんに蹴りを入れてしまいました寝相には自信あったのに…。今夜は人少ないから平和かしら。

9.14 新館に住民の方が戻ってきてる

9.15 三菱商事さんからの差し入れ、リポビタンD

9.16 今日のラジオ体操は石巻バージョン。ラヅオ体操だいいづー。

9.16 船が動いた!!

9.17(0:15) ミーティングから帰ったらこの時間。やばくね?

9.17 一緒に働いたみんなを送り出すはずが、送られてしまった。寂しいな。専修へお引っ越し。

9.19 やっと携帯復活した~。このAndroid、なかなかわたしと相性がよろしくない。。。


先日、大川小を見る機会を持ちました。作業せずに被災地を見に行くとき、今回も自問したのが、これは興味本意の行為ではないか、ということです。行き交うのはほぼ作業車という、まだ損壊しているところも残っている道で、自分の車は多摩ナンバー。自問しながら大川小への道を走っていたのですが、ここがとても美しい川沿いだったのです。

大川小には、重機が入っていました。大川小の捜索打ちきり直前の捜索作業の現場の写真と話を聞いていましたが、そこから一歩、進んでしまっていました。

重機が入ってしまえば、“復興”は進みます。ボランティアの形も変わってきており、センターの閉鎖や団体の活動打ちきりが増えています。(まだニーズはあるとは言え、その流れは変わらないでしょう。また、それは本来喜ぶべき状態でもあります。)今後復興は間違いなく進みます。明るい方向を見ていかなければならないのです。

意味のわからない津波。あるはずだった人生。荒浜に打ち上げられた冗談のような数の死者たち。渋滞の道路で車ごと飲まれ人たち。人が乗ったまま四段重ねの車で国道は埋まっていたそうです。美しい川のそばで生きていた子どもたちの魂。。。

9・11は、お祈りの日にしたいと思います。復興で置いていかれる魂がないよう。復興を進めることと鎮魂が、相反するものにならないよう。ボランティアがやっているうちは、まだ忘れてない、ということ。町をきれいにするお手伝い、してきます。

(9/10 記)

私たちは、週末だけ行けばよい。そこで暮らしているわけではない。東京は東京で、東京の日常に何となく疑問を感じ、東京の日常が何となく詰まらなく、東京の日常に何となく不満を覚えていたりしていつつ、こうやって週末に、違う世界へやってきている。だから元気でいられるし、勢いよく側溝を掃除することもできる。これが自分の家の前だったら・・・。きっと目の前は真っ暗で、エネルギーなど湧いてこないだろう。

石巻へ行くのは、わたしにとっては自己満足だ。阪神大震災の時、大学受験を終えたばかりの私のクラスから、何人かボランティアへ行っていた。わたしは、そんな発想すら浮かばない、まったく動けない人間だった。動けるような人間になった今、行くことができるのは喜びであり、肉体労働は心地よいし、行ってみれば出会いもある。最初の気持ちは被災地を見なければという思いだったし、「復興」よりも「鎮魂」だった。2週間ぶり二度目の訪問で、私の中でも、「復興」という力が芽生えてきたように感じる。ほかのボランティアから、地元の人に最初に言われた言葉というのを聞いた。「みんな「復興」なんて言うけれど、避難所にいて、自分は絶対無理だと思っていた。避難所から一時帰宅したとき、街にあふれるボランティアの人たちを見て、もしかしたら復興は可能かもしれない、と初めて思った。」ボランティアには、そういう力がある。この話を聞いて、光が見えた気がした。とてもうれしかった。

まだまだ街がきれいになるには人手が必要だ。行きたいけれどハードルが高いな、と思っている方がもしいたら、声をかけてください。
あまりにも勢いのよい私たちを見込んで、蓋をあけたところまでの長い側溝を終えると、道の続きではなく、角地の更地のヘドロ取り作業が私たちに与えられた。この作業は、まこっちゃん曰く「砂場の砂を掻いている感じ」。乾いた土、ヘドロ、砂利。鍬で土地をおこし、タールの部分まで取り除いていく。30分ごとにこまめに休憩を取り、この作業を続ける。土嚢もたくさん作られていき、回収のトラックが来るとトラックに積んでいく。トラックの運転手は抜擢された4班の人で、回ってくると喜んで迎え、手を振って送りだし、何周もしている間に仲間になって、道の向こうからヘッドランプでピカッと挨拶してくれるようになった。

今回の作業で前回と一番違ったのは、地域住民の方に呼びかけたことだ。この地域の側溝は、市がやるか、住民がやるか、ボランティアがやるか、二転三転四転五転した結果、住民主体でボランティアがお手伝い→そうは言っても地域住民は高齢者が多く、また自宅もやられている現状で、現実的にそれは無理、ボランティア主体でできるだけ地域の方を巻き込むという方針に決まったという背景があった。作業を始めると、ボランティアのTOP真奈美さんが、自転車で走りながらトラメガで呼びかける。「住吉町のみなさん。ボランティアが側溝の清掃をします。よかったら一緒にお手伝いください。」この結果、ご自宅にいらっしゃるお宅では、どのおうちからも住民の方が外に出て、おじいさんは実は側溝の蓋あけが上手だったり、そのおじいさんを師匠と呼んで教えてもらったり、ホースで水をくれたり、おにぎりや磯辺焼きの差し入れをいただいたりした。極めつけは、お昼におにぎりをくださったおうちで、夕方もう一度撤収に間に合うように作ってくださり、箱ごとキャンプ場へ持ち帰った。全部のおにぎりを食べ終え、箱を捨てる前に底に敷いてあったアルミホイルを取り除くと、なんとメッセージが書いてあった。

「頑張ってくれた皆様  遠いところ被災地石巻住吉町にお越し下さいまして本当にありがとうございました。感謝です!ありがとう。きれいになったら又来て下さい。おにぎりよりおいしいもの、ごちそうしたいです!」

同じ時代に生き、同じ時間に同じ地震を経験した身として、破壊された街をどうしても見ておきたい。そういう思いがあったので、一度目は、どうも整理がつかなかった。私の中では、「復興」とか「支援」なんていうのはおこがましく、あえて言うならば「鎮魂」だったのだろうか。経験したこともない揺れとその後の異常、そしてそれ以上の被害を知った時の衝撃。私は私自身のために、東北へ行きたかった。

今回。この考えは、大幅に前進した。

【石巻での活動】6.4-5

住吉地区での側溝清掃作業。6人ずつの7チームで、一つの区画、一本の通りの側溝をつなげる。私のチームがすごかった。あまりにも素晴らしいチームだったので、名前も出して記録しておきたい。まず、活動以前。前日の夜10時の新宿集合。リーダーが仕事のトラブルで来られないとの連絡が入る。そして、「車で行っていいかなぁ」。スタッフからNOが出たのも隣で聞いていたが、「来ちゃえ、来ちゃえ」。前代未聞の、自家用車で現地へ乗り付け、リーダー降格、名指しで怒られ無事チームへ合流。ほかのメンバーは新リーダーひろくん、まこっちゃん、おにぎりまん、長山くん、梅ちゃん、わたし。一日目はダメ元リーダーとまこっちゃんがバール隊としてチームから抜け、チームは解体、そこにスタッフのコバさんが参加。最初は2班と4班の間の場所をのろのろとやっていたが、コバさんの的確な指示もあって、すぐに側溝掃除のコツをつかむ。LL(リーダーリーダー)のカズさんのチェックを受け、ブラシでごしごし側溝を浚うことを覚え、見た目にもかなり完璧な仕上がり。前回のテッドさんの教えを受け、蓋を閉めたあとの道路と側溝の上をきれいに掃除。そこを終わらせて、7班の隣へ移動。新しい場所も時間内に目標まで終わらせる。二日目、ダメリーダーとまこっちゃんがチームに戻ってきて、チームはさらにパワーアップ。コバさんは今日は留守番、代わりに途中から文ちゃん(みんなはヒロヤさんと呼んでいる)が合流。1か所目、すごい勢いで片付いてしまい、おうちの人としばらく談笑して次へ移動。次の場所はかなり長くその通路の端までやってしまおうという勢い。ヘドロをたくさん取れれば「来た~!!」、おにぎりまんが頑張れば「おにぎりパワーだ!!」。個性あふれるチームメンバーはとにかくみんなコミュニケーションが好きで、なんだかんだその場を楽しく突っ込みながら、どんどん作業は進む。
【石巻でのスリランカ軍の活動】

私たちが側溝の掃除をしていた新館地区。この地区はそれまで危険地域として、ボランティアの手が入らなかった。

私たちが新館地区の担当場所へ移動するとき、外国人の作業集団がいた。朝、宿泊地の石巻専修大学で、揃いの青い作業服を着たこの集団を見ていた。彼らはここで働いていた。胸ほどの深さのある側溝へ入って作業をしている。国旗と、友好の旗を立てていた。横を通ると、「おつかれさまです」。彼らはスリランカの陸軍だった。

震災発生当初、各国の人的物的支援の申し出があった中に、スリランカ軍もあったそうだ。ニュースでも聞いたような話だが、どういう事情か、日本国政府は、多くの人的支援を断ったようだ。スリランカ軍も、日本国政府が断った一つらしい。それでも、スマトラ島沖地震で同じく津波の被害を受け、そのとき一番に駆け付けたのは日本の医療チームだったという恩を、スリランカは忘れなかった。スリランカ政府はスリランカ軍を、文民として、民間のピースボートのボランティア団体へ派遣した。日本のボランティアでは対応できなかった危険地区へ、このプロチームは入ることになった。

その働きは尋常ではなく、屈強なスリランカ人たちは、黙々と瓦礫撤去作業や深い側溝の清掃作業をしている。翌日の午後、彼らは前日からはだいぶ離れたところにいた。土嚢の大きさも尋常ではなく、わたしたちは、ただただスリランカ軍への感謝と畏敬の念に打たれた。
【石巻での活動内容】

2.民家の壁剝し

二日目の午前中、天候不順のため、側溝は保留し、民家へ向かう。1Fに3部屋くらいの民家なので、通常なら1グループで対応するところを、この家に住む母娘もびっくりの3グループ20人で伺う。部屋の壁の高いところに、津波の跡がある。津波の跡の少し上、天井まで10cmほど残して石膏を剝していくのが今回の作業。そのあとはプロの大工さんの仕事となる。バールで壁を叩き、剝すラインを付けていく。その下の壁をびりびり剝していく。一気に壁が剝されていく。見守る奥さんと娘さんは、この光景をどう感じているのだろう。「こんなに一気に変わると悲しくないですか?」「もっと悲しい光景をいっぱい見ましたから・・・」。

ガンガン剝し、剝した石膏をガサ袋に詰め、降ったり止んだりの外に運ぶ。現れた柱に打たれた釘を、抜いていく。剝し残しを丁寧に取り、柱に溜まった埃や石膏を落としていく。そして床に転がっているたくさんの釘を分けながら、床を掃除してく。台所は、さらに床下収納がドブになっていて、担当グループがバケツリレーを始めている。ドブとなった真っ黒な水を全部出し、床下収納のボックスを取り出して外で洗う。集合場所からネコでモップや雑巾が運ばれ、家の中では床をぴかぴかに磨き上げる作業が始まっていた。

一部を残し昼食休憩に入り、集合場所に戻った。1グループが午後にこのお宅の清掃作業を完了させた。

【石巻での活動内容】

1.新館地区の側溝の泥出し

この地域は、全・半壊地区で、危険区域に指定され、今まではボランティアの手が入っていなかった地区だそうだ。この地区のカスカファッションの倉庫をピースボートのボランティアが泥出し、清掃した関係で、その後この場所もピースボートボランティアの拠点となり、いなかった新館地区の住民の方の、きれいになるならば住みたい、という声も届き、この地区もボランティアの対象地区になったとのこと。

側溝とは、道路の横にある溝で、ヘドロやいろいろなものが溜まって水が流れない状態になっている。バールを使って蓋を上げ、シャベルで泥を掘る。泥は土嚢に詰め、道の端に積んでいく。この肉体労働を、役割分担して繰り返す。震災から2か月経ったヘドロは異臭を放ち、水を吸ったヘドロは重い。初日の半日で、角の一角と向かいの一部、二日目の午後で向かいの一軒分ほどの作業を行い、隣の一軒分を向こうからやってきた隣の班とぶつかって、一本の側溝が繋がった。



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