流されるままに。
呑んでいればご機嫌。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 林間学校黄色い声と言はれても 夏の旅黄色の肌心地よく お月さまは黄色じじばばと夏休み 赤青黄のミッキーTシャツ夏休み PR 岩陰は涼し不動の蝮なり 薄目して息止め蝮を過ぎなければ 寝ころべばニッコウキスゲ空に咲く ほつと息ついて素足はせせらぎに ビール十本背負ふ登山家七十路
踊り子の化粧きりりと奉る
泣かされてでも追ひかける跣の子
OLは仮面床ひんやりと裸足かな
かなかなや夜の明けてゆく霧の中
退職が受理された。
ここでのわたしの役目は終わった・・・。 そう思ったら、一気に5年の疲れがきた。 前を向いて生きよう。 未練は、ある。 でも、この選択は、後悔しない。
思い立って、三春へ行った。
「三春の滝桜」この桜の存在を知ったのは、その前の年の花見のときだった。「東京の花見は花の下で宴会なんだね。田舎ではね、一本の大きな桜を見に行くのが花見なんだ。」この一本の大きな桜、というのが彼にとっては「三春の滝桜」であり、この知識は、「田舎では」という括りではなく、滝桜に限定された知識だと、今は思う。ともかく、わたしの頭に「三春の滝桜」という桜が、刷り込まれた。 国の天然記念物となっている「三春の滝桜」は、噂にたがわず、その存在感は圧倒的だった。樹齢1000年を越え、幹周り9.5M、老木であるから、たくさんの添え木に支えられている。火曜日に開花し、昨日の金曜がもう満開だった、と人々が話している。因みに、今年の東京の桜は、開花から3回も週末を迎えたのだった。その最後の週末からちょうど2週間後のこの日、週末だから、満開の滝桜を目指して、たくさんの人がきていた。人々は一本の滝桜の前でとても小さく、滝桜に見守られているようであった。そしてそれであるのに、添え木に支えられている滝桜も、たくさんの人々の優しい視線に見守られているのだった。 三春町にある桜は、滝桜だけでなかった。山の上の滝桜から歩いていると、車道の坂道が桜のアーチである。目の前の桜のアーチの中へ、車が、バイクが、心地よい風を伴って入っていく。町までの間に、大きなしだれ桜も、寺ごとにある。椿と共生しているような、椿を幹が囲んで守っているような、不思議な桜もあった。三春は、花の溢れた、春のまん真ん中にあった。その春の真ん中の三春町に、わたしはいた。春愁を抱えての旅が、ふっと軽くなった。「三春の滝桜」を教えてくれた人に、花の報告をしたくて、テレカを買った。 碧梧桐は、三春に、秋に行っている。明治39年(1906年)10月9日。この地で句会を行っている。兼題は「柿」。 渋柿を食うて羅漢の何番目 水声 柿主を脅やかしたる土賊かな 碧梧桐 滝桜が国の天然記念物に指定されるのは、碧梧桐が三春へ行った16年後、大正11年(1922年)である。
電通の<鬼十則>
一、仕事ハ自ラ「創ル」可キデ、与エラレル可キデナイ。 二、仕事トハ先手先手ト「働キ掛ケ」テ行クコトデ、受身デヤルモノデハナイ。 三、「大キナ仕事」ト取リ組メ、小サナ仕事ハ己ヲ小サクスル。 四、「難シイ仕事」ヲ狙エ、ソシテ之ヲ成シ遂ゲル所ニ進歩ガアル。 五、取リ組ンダラ「放スナ」、殺サレテモ放スナ、目的完遂マデハ。 六、周囲ヲ「引キ摺リ廻セ」、引キ摺ルノト引キ摺ラレルノデハ、 永イ間ニ天地ノヒラキガ出来ル。 七、「計画」ヲ持テ、長期ノ計画ヲ持ッテ居レバ、忍耐ト工夫ト、 ソシテ正シイ努力デ希望ガ生マレル。 八、「自信」ヲ持テ、自信ガナイカラ君ノ仕事ニハ、迫力モ粘リモ、 ソシテ厚ミスラガナイ。 九、頭ハ常ニ「全廻転」、八方ニ気ヲ配ッテ一分ノ隙モアッテハナラヌ、 サービストハソノヨウナモノダ。 十、「摩擦ヲ怖レルナ」摩擦ハ進歩ノ母、積極ノ肥料ダ、 デナイト君ハ卑屈未練ニナル。 何もかも原色にして秋風も 朝顔や路地ゆけば路地細くなり 焼き芋の黄金色をじつと見し 秋驟雨へ男のうしろ姿かな 一国一城の主わたしの黴の家 じつとりと汗ばむままに壁の滲み 平成の世に軽やかな星の恋 平成の世にのびのびと星の恋 大胆な恋灼熱の島に残す
5年後、37歳の自分を考えてみる。
ここでOLをしているだろうか。。。 NG。 37歳のわたし。 山の経験も積んで、自然の弟子としての大きなやさしさを持つ女性。 好きなことを、自信を持って選べる女性。 そして、子ども二人くらいいたら、とてもいい。 |
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