流されるままに。
呑んでいればご機嫌。
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夜。です。
呼吸って丸いんだ。という気がして、顔の前にあるバレーボールくらいの球体と一体になって呼吸しているような感じが、呼吸の10回目くらいからしてきました。それで、呼吸していたら、だんだん呼吸が丸くなってきました。 丸いボールと一緒に呼吸しているうちに、息を吸うときに、ボールに顎を押し上げられるような感じで、頭が上がり、首が伸ばされました。呼吸とともに頭がちょっとずつ動き、変な角度で静止しました。首の筋が気持ちよく伸びた状態で、やりにくいけれど、深い呼吸に集中していました。10回くらい呼吸したでしょうか。首が、ちょっとずつ、ほんと1度ずつ、というくらいちょっとずつ、動きます。そして、また、変わった角度で静止。。。 なんとなく、もういいかな、と思ったので、何回かの呼吸の間に、頭がまっすぐ安定するようにゆっくりゆらゆら戻ってきました。目を開けたら、ちょうど15分でした。 PR
今度出てきた映像は、東西線竹橋駅の地下から外に出る出口。なんとかホテル(覚えてない)の入口に通じる出口。
これは、仕事のお遣いで司法書士事務所に行ったとき、あ、彼の会社、ここなんだ。と思った場所。彼の会社は、出口の黄色い看板に書かれるような大きな会社で、わたしが司法書士事務所へ行くために使った出口が、まさに彼の会社に一番近い出口だった。司法書士事務所で用事を済ませ、駅まで戻り、彼の会社を見上げる。そして一周。「今〇〇ホテルのとこなんだ」とメールをし、夜、「お、どうしたの?」と返事をもらったのだった。 映像に表れたのは、ストーリーではなく、写真のような風景。外に出た瞬間に、あ、そう言えば。と思った、そのとき見上げた空そしてビル、でした。 悲しいとか、想い出チックな感慨などなく、やっぱりただ写真を見ているような感覚のまま、涙を流していました。
集中できないからいったん中断、再開版。
実家からチャリで帰ってる途中、脳が暴走を始めたので、「早くお家に帰って瞑想したいっ!」と思う。 呼吸法は間違っているかもしれないけど、初日のように、脳に直接酸素がいく感覚を求めて彷徨う。マントラを唱えながら呼吸集中すること約10分くらい。 海が見えてきました。船の上。なぜか横浜だと認識。突如、涙が溢れる。 「今度行こうよ。」それは、果たされなかったけれど、彼の口から初めてそして唯一聞いた、二人未来図。 映像には甲板と海しかなかったけれど、隣に彼がいて、二人とも同じ方向を、海を、見ているのがわかる。 呼吸を繰り返す。マントラを唱える。 映像には感情はなく、ただただ、きれいな景色だなぁ。と思いながら、涙が流れました。 涙がおさまると、とっても平穏な時間がやってきて、もう映像を思い浮かべても、涙はでず、心地よい呼吸をしている自分を感じ、そうして2・3回呼吸をしてから目を開けると、ちょうど15分でした。
起きている間に収集した情報は、寝ている間に自然に整理される、というのが、多忙な毎日を送っていたとき実感から立てた仮説。混乱した変な夢というのは、頭の中の情報を整理している、そのとき回線が混乱しておかしなストーリーができるのだと思っている。
ところが、このところ、寝ても寝ても頭がすっきりしない。寝ている間、脳が整理されるどころか、完全に動きを止めている。どうやら頭にメモが散らばっていて、さらに同じものがどんどんコピーされてゆき、スペースがなくなって収集がつかなくなっている状態、というのが、今の自分の状態のようだ。 瞑想チャレンジしてみた。 途中から頭に直接酸素がいく感じになる。頭がずきずき痛くなって、治療されている感じだ。 仕事のこと、去年のこと、一人になった今何かをやらなければと思っていること、そんなことが、頭の中で延々と堂々巡りしていたんだ。普通だったら眠っている間にやってくれる整理作業を、脳がキャパオーバーでやらなくなっってしまっている。今何もやりたいことがない、というのが私の中の問題のようだけど、瞑想によって整理されて脳にスペースの余裕ができたら、それから思考の種が根を張っていかないようになったら、一番すっきりした、一番自然な道が見えてくるに違いない。
彼にとって、わたしには、恋人にしたいと思う魅力がなかった
その事実を受け入れると、楽になった。 頭(思考)の混乱はクリアになり、心は楽になった。 ところが、問題はどうやら心に留まらないようだ。 頭痛、動悸、眠りすぎ、やる気が起きない状態。 わたしの症状は、どうやら自律神経失調症のようである。 自律神経失調症とは:交感神経と副交感神経の2つから成り立つ自律神経のバランスが崩れた場合に起こる病気。夜更かしやストレスなどで脳を休める時間が減ると自律神経が興奮し、結果的に交感神経と副交感神経の優位入れ替わりのバランスが崩れ、自律神経失調症となるとされている。 強いストレスは現在感じていない。ウツになるような心の状態でもない。それでも自律神経は乱れるのだろうか。そして見つけた「脳と神経のお話」というサイト。(http://www.smile-genki.net/brain1.htm) 「人間の脳を大まかに説明すると『大脳皮質』『大脳辺縁系』『視床下部』という構造になっています。 「『大脳皮質』は知覚・判断・思考・記憶などの高度な精神活動を司るところです。 『大脳辺縁系』は、喜怒哀楽や食欲・性欲・集団欲・睡眠欲などの動物的欲求が生じるところです。 『大脳辺縁系』から出された欲求が『視床下部』へと伝わります。さらに、『視床下部』から『中枢神経』と『末梢神経』に指令が出されます。 ただし、人間は『大脳辺縁系』から出された欲求全てを、行動に移すことはしません。『大脳皮質』では物事を判断することができますから、食べたい・泣きたい・ねむたい・・・という欲求をこらえたりします。 こういった制御があまりにも強くなって、人間を抑圧するようになると、『大脳辺縁系』と『視床下部』のコミュニケーションがうまくいかなくなり、自律神経のリズムが乱れてしまうことがあります。」 思い当たるのは、「制御」と「抑圧」。去年の一年間、わたしは脳で考え、それに合わせた行動をとっていた。恋愛感情を避け、白黒をつけたい欲求を我慢し、疑問も解決せずに全てを受け入れ相手を理解しようと努めた。泣きたい、愛されたい、抱きしめられたい。その欲求はお預けだと言い聞かせていた。それは、自分の意志で決めたものだった。「心」が多少悲しんでも、疑問を持っても、心理的なコントロールはできるはずだった。ところが、「『大脳皮質』を使って物事を判断」し、「欲求をこらえ」ていた、ということは、「『大脳辺縁系』から出された欲求を、かなりの強さで抑え付けていた」ということになる。制御があまりにも強くなって、人間を抑圧する状態になっていた、ということだ。そうすると「『大脳辺縁系』と『視床下部』のコミュニケーションがうまくいかなく」なって、限界を迎えたのだ。心は自己ケアできるようになっていたが、脳神経は悲鳴を上げていたのだ。それが今の私の状態である。 自律神経は、「自律神経」と言うだけあって、自分の意志とは関係がない。自律神経がバランスを崩してしまったら、少し外部の力を借りたほうがいいかもしれない。
とにかく眠る。目が覚めると、声を上げて泣いてしまう。
泣き疲れると、また眠っている・・・。 何かを考えると、割れるように頭が痛い。 ちょっとは悲しいこともあるけれど、そこまで痛くないのに、 むちゃむちゃに泣いてしまう。 悲しいけれど、あったかい愛情も感じている。 頭が痛い。 とにかく眠ろう。。。 避けたい思考。これらが、たぶん衝突。 1彼を人間として冷たい人間だと判断すること。 2彼に、振り回された、と考えること。 3私が彼に異性として魅力を感じていなかった、と認識すること。 4私は異性としての魅力がなかった、ということ。 1→自然好き。その辺の感覚が信用できる。 冷たいのではなく、自分を守るために、自分の人生に決めている 思い込みがある。本当はやさしい心を持っている。 2→わたし自身が楽しんだ。楽しませてもらった。人生で一番楽しい 一年で、人生の楽しみ方を教えてもらった。 1.2をNO、と言い切ると、3が出てくる。 3→彼が恋愛から逃げ回っているから、恋をしないよう、自制していた。 彼が私といられるようにしてあげたかったから、自分の感情は 抑えていた。だから、確かに一緒にいるときは恋していなかった。 →離れて、彼を恋している気分に浸ってみた。 →久しぶりに彼と会った。前より色々なことを楽しく話したが、 家に行くことは断られた。 ここで4が出てくる。 4を認めたくなくて、4を否定したくて、 それでも4を明快に否定できないことがなんとなくわかって、 それでわたしの中の女の子が苦しんでいたんだね。 女の子のわたしが、思考を止めちゃってたんだね。 答えを知りたくないから。。。 恋愛ではなくてもいい関係を構築したくて頑張った一年。 絶対に、彼からは信用されているし、やっぱり好きだし仲良しだし。 でも、恋人になれない。。。 その答えは一つ。 わたしに、恋人としたい魅力がなかった
■
今を勝つことへ集中してきます。 8割しか生存可能性のない、未来に勝つことを考えるのは、少なめにして。 バックパッカーの旅と、老後の旅行とじゃ、感じれるものに格差ありす ぎっしょ。 人生とは『生きてる時間』のこと。 人生で大事なのは『今』。 『今』の連続が『人生』だし、老後へもつながってく。 ■ 歳を取れば、みんなある意味、惨めです。 いままで出来たことが出来なくなっていくんですからね。 でも、元気なうちにやりたかったことを 一通りしていれば、諦められます。 ■ 甘くみていなければ、好きにすれば良いと思います。 でも、甘く見ていない人は、甘えた行動はしないと思います。 一人前にちゃんと稼いで自活できない人は、社会人じゃないです。 社会責任を放棄してまで得るものがあれば、それも良いと思います。 自分の人生を楽しめる人間が、勝ち組みなのでしょう。 ■ (本当の意味で)豊かな青春を送った人は、惨めな老後にはならない、と 思うのです。 赤ん坊の頃に見た夢春爛漫 赤門を潜り何の感慨もなし 赤ペンを三本もらいオフィスに春 あなたは赤ペン渡されてオフィスに春 情熱の赤はるかなり八十八夜 赤ワインただ注がれゐる芙美子の忌 赤い糸切つて静かや芙美子の忌 旅の朝下弦の月の霞むかな 寂しさの丸々として花の旅 春愁のわたし滝桜の前にをり 叶え得ぬ夢の代わりや滝桜 見守りて見守られゐる滝桜 春の日のまん中の三春町にゐる 花の報告早くしたくてテレカ買ふ 金谷川と云ふ駅にゐて小鳥の恋 菜の花やわたしは今福島にゐる
明治39年(1906年)8月25日、碧梧桐はまだまだ犬吠に遊んでいる。「九十九里という処は一種風俗のかわった土地で、面白いことがいくらもある」という。たしかに、碧梧桐の見た漁師の世界、面白い。網主という地引網の持ち主が非常な権力を持って漁師を抱えている。この網主、「己が旦那」のために命を惜しむ抱え子はいない。
「鰯の漁のある時は、一種の呼び方をして村々を振れ廻る。そうすると、遠きは二里三里の陸の者までが、網を引きに寄って来る。その引き賃に鰯を分けるのはどこもかわった事はない。ただその分け方が変わっておる。一人の男が自分を中心にして砂の上に杖か何かで円を画く。その円の中へ山のように鰯を盛り上げてそれを升のかわりにして一杯二杯と盛って行く。砂原に鰯の山が十も二十も出来る。大漁の時には一人組の漁と言い、だんだん少漁の時ほど五人組七人組の漁などという。つまりその鰯の山を一人で占める時と、五人七人で分配する時とで、そういう名が出たのである。」 2002年12月2日。インドプリー。喧騒のカルカッタに、一週間で疲れてしまった私は、ハウラー駅から夜行列車に乗り、南へ向かう。行き先は、海の町、プリー。駅からリクシャーで約10分。一番奥の、一番海に近い、サンタナ・ロッジを宿にする。 海岸は、端から端までゆっくり歩いて、1時間くらいだったのだろうか。漁を終えた男たちが、船を浜へ引揚げる。砂浜にぴかぴか光る魚の山がたくさん作られている。子どもたちは、ペットボトルを見ると水をくれ、カメラを見ると撮ってくれ、と寄ってくる。男たちも、自分を撮れと集まってくる。カメラを向けると、こちらを睨みつけたような笑わない男たちが、カメラに向かってポーズをとるのであった。 明治39年(1906年)8月27日。「大きな笊を背負って、手に味噌濾しようの物を下げた女が、果物や餅菓子は如何様と売りに来る。(中略)時には作った真桑でうまいから是非一つ買えと強迫する。」 2002年12月。プリーでは、頭に籠を載せたバナナ売りの女性がやってくる。一度はあのバナナを買おう、そう思っていたが、買った記憶が浮かばない。きっと買わなかったのだろう。 明治39年(1906年)同日、宿では「板を持って飯ごとに注文を聞きに来る。」メインはやはり魚だが、嵐が来てからはメニューがオムレツ、五色あげ、しぎやき、などに変わったようだ。 2002年12月。プリーのサンタナでも、その日の晩ごはんの注文を、メニューを持って取りに来る。プリーは魚の町だから、焼魚定食もあるし、オプションで刺身もあるのだ。 明治39年(1906年)同日、碧梧桐は犬吠に飽きてくる。「もうここも飽きた」碧梧桐は、熱を出したり腹を下したりして、結局29日に犬吠を発つ。碧梧桐の犬吠は、9泊10。 2002年12月7日。テリーも去った。ショウタも去った。わたしもそろそろプリーを発とう。私のプリーは5泊6日。 |
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