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明治39年(1906年)8月25日、碧梧桐はまだまだ犬吠に遊んでいる。「九十九里という処は一種風俗のかわった土地で、面白いことがいくらもある」という。たしかに、碧梧桐の見た漁師の世界、面白い。網主という地引網の持ち主が非常な権力を持って漁師を抱えている。この網主、「己が旦那」のために命を惜しむ抱え子はいない。
「鰯の漁のある時は、一種の呼び方をして村々を振れ廻る。そうすると、遠きは二里三里の陸の者までが、網を引きに寄って来る。その引き賃に鰯を分けるのはどこもかわった事はない。ただその分け方が変わっておる。一人の男が自分を中心にして砂の上に杖か何かで円を画く。その円の中へ山のように鰯を盛り上げてそれを升のかわりにして一杯二杯と盛って行く。砂原に鰯の山が十も二十も出来る。大漁の時には一人組の漁と言い、だんだん少漁の時ほど五人組七人組の漁などという。つまりその鰯の山を一人で占める時と、五人七人で分配する時とで、そういう名が出たのである。」

2002年12月2日。インドプリー。喧騒のカルカッタに、一週間で疲れてしまった私は、ハウラー駅から夜行列車に乗り、南へ向かう。行き先は、海の町、プリー。駅からリクシャーで約10分。一番奥の、一番海に近い、サンタナ・ロッジを宿にする。
海岸は、端から端までゆっくり歩いて、1時間くらいだったのだろうか。漁を終えた男たちが、船を浜へ引揚げる。砂浜にぴかぴか光る魚の山がたくさん作られている。子どもたちは、ペットボトルを見ると水をくれ、カメラを見ると撮ってくれ、と寄ってくる。男たちも、自分を撮れと集まってくる。カメラを向けると、こちらを睨みつけたような笑わない男たちが、カメラに向かってポーズをとるのであった。

明治39年(1906年)8月27日。「大きな笊を背負って、手に味噌濾しようの物を下げた女が、果物や餅菓子は如何様と売りに来る。(中略)時には作った真桑でうまいから是非一つ買えと強迫する。」

2002年12月。プリーでは、頭に籠を載せたバナナ売りの女性がやってくる。一度はあのバナナを買おう、そう思っていたが、買った記憶が浮かばない。きっと買わなかったのだろう。

明治39年(1906年)同日、宿では「板を持って飯ごとに注文を聞きに来る。」メインはやはり魚だが、嵐が来てからはメニューがオムレツ、五色あげ、しぎやき、などに変わったようだ。

2002年12月。プリーのサンタナでも、その日の晩ごはんの注文を、メニューを持って取りに来る。プリーは魚の町だから、焼魚定食もあるし、オプションで刺身もあるのだ。

明治39年(1906年)同日、碧梧桐は犬吠に飽きてくる。「もうここも飽きた」碧梧桐は、熱を出したり腹を下したりして、結局29日に犬吠を発つ。碧梧桐の犬吠は、9泊10。

2002年12月7日。テリーも去った。ショウタも去った。わたしもそろそろプリーを発とう。私のプリーは5泊6日。
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