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流されるままに。 呑んでいればご機嫌。
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全てを受け入れられるおおらかな女性でいよう。
大きなあったかい女性でいよう。
安定した、楽観的な人でいよう。
彼に対して、去年そうしていたように。
せっかくのそういう自分を、わたしにしよう。

夢のないときは、本を読もう。
夢のないときは、勉強しよう。
夢のないときは、旅をしよう。
夢のないときは、楽しかったときのことを書こう。

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屋久島と穂高を振り返っている。
それはけっして未練や後向きではない。

天台宗大阿闍利の言葉が、私を肯定してくれる。


・・・行を終えて体が元に戻るには、行をやった時間の三倍かかる。たとえば九十日間お堂に籠って寝ないでお経を唱えながら阿弥陀仏の周りをぐるぐる回る「常行三昧」という行では、九十日やったら一年近くかかる。ゆっくりゆっくりね。体のことだけじゃなく、心の方もやはり同じなんだ。九十日間に感じたいろいろなことを「ああこういうことだったのか」「なるほどそういうことかもしれない」-と腑に落ちるのには、一年以上がかかるというわけだ。実際一年くらいゆっくり時間をかけて振り返ると、あまり偏った考え方ではなく、なめらかに考えられるようになる。・・・   酒井雄哉「一日一生」より


一つ一つの体験を、想い出に変換していく作業。
ゆっくり振り返る、それは大切にするということ。
彼女ではなかったから、かえって、一緒にいられる一日一日を、
一瞬一瞬を大切にできたのかもしれない。
そう思いながら、私は今、振り返り作業をしている。

連れて行ってくれた人へ、ありがとう、をこめて。
夕陽の時間がゆっくりとやってくる。一組のカップルが、トイレの上に登って、日の入りを待っている。広い屋根の上、その建物がトイレではあるけれど、いい場所だ。さらに上のテント場から、彼らを見てほっこりとした気分になる。テント場からだと、夕日は右の方、カップルの先の遙か遠くのほうへ落ちる。カップルの夕日スポット、トイレの屋根に、だんだん人が集まってくる。三脚を構えたカメラマンも数名。ほかにワイワイがやがや。

今日は雲がある。遠い山の向こうに立ち上る雲の上で、沈む前の太陽が力強い光を放つ。白い雲と雲の黒い影で、雲が生き物のような迫力を持つ。

ふと左を見ると、白い満月がすでにある。太陽が健在な間は、月はまだ主役にはなれない。右に沈む太陽、左に登る月。「菜の花や月は東に日は西に」蕪村の有名な句を思い起こす。はっと気づく。この句は、満月でなければあり得ない。夕方昇る月は満月だからだ。満月は夕方昇るから、時期によっては、沈む太陽と登る月が東と西に同時に見えるのだ。菜の花の季節ではないけれど、私は今、その句のような一瞬に立ち会っているのだ。


  天秤のやうに入日と名月と


遠くの空がオレンジに染まる。太陽は、山の向こうの雲のさらに向こうの雲の中へ消えていく。雲は落ち着きを取り戻す。そして、月がその輝きを増していく。

そう、今日は仲秋の名月。
テントの脇で、エアマットを椅子にして休んでいた。係員のような人がやってきた。

  ヘリコプターが来ます。
  強い風が来るので気を付けてください。

広場の一角に小さなヘリポートが確かにあった。広場の人たちは、山荘の中へ誘導された。テント場は、山荘の脇を登ったところにあった。そこから下の広場はよく見えた。テント場の上も大きなヘリポートだったが、そこはすでに多くのテントが張ってあった。ヘリコプターは、広場のヘリポートに停まるようで、テント組は、みんな高見の見物者となった。

ヘリコプターは左の空からやってきた。こっちへ向かって真っ直ぐにやってきた。あっという間にここまで来ると、上から見たらまるで四畳半のような小さなヘリポートに、一瞬のホバリング状態から垂直に降りた。ヘリコプターの先が、ヘリポートの端にぴたっとついている。お見事。怪我人を背負った救助の人が乗り込み、もう一人連れらしき人が乗り込む。ヘリコプターは垂直に上がり、その向きのまま、来た方向とは逆の右の空へ消える。その時間、一瞬。
遅めのお昼は、満場一致でカレーになった。夜ごはんも早いだろうからと二人で一杯だけにしたカレーを、そのときは私が掻き込んでいた。穂高岳山荘前の広場で、奥穂への壁から離れたほうのテーブルで、その壁に向かってカレーを食べていた。場がざわついた。きゃー、という声が若干、もっと低い、どよっとしたざわめきが波となっていた。何?カレーの手を止め、どよめきの先を見る。うわっ、まだ落ちている。やっと止まる。落ちたのは人?彼は一部始終を見たようだ。その岩場には梯子が二段かかっている。人が、上の梯子の上から落ち、いったん梯子と梯子の間の踊り場に落ち、さらに下の梯子の下まで落ちたらしい。

  人が落ちました!血が出ています!人を呼んでください!

岩にいる人が叫ぶ。

  山荘の人に言いました!すぐに人が行きます!

下にいる人が叫ぶ。

山荘から救助の人が出てきた。道ではない岩を登っていく。二人が、落ちた人に取りかかる。落ちた人は、どうやら生きているようだ。まずはよかった。どうしても自力で動かなければいけないところらしい。救助の人の助けで、自力で動く。広場の人が固唾を呑んで見守る。救助の人が背負えるところまで降りれたようで、あとは救助隊が背負って降りる。穂高岳山荘の中へ運ばれる。

遠くから見ると、壁に人が腰掛けているように見える。そこが穂高岳山荘。もうすぐだ、ということだ。たった2時間そこら、と軽く見ていた2日目の行程だが、3時間以上かかったのではないだろうか・・・。ようやくたどり着く。山小屋の前は広場になっていた。人がいっぱいいる。カレーを食べている人がいる。ラーメンを食べている人がいる。カレーおいしそう、ラーメンもおいしそう。カレーも食べたい。ラーメンも食べたい。壁に見えたことろは、かなり幅も広く、眺めが最高だから、やっぱり人がいっぱりいる。荷物を置いてTシャツを着替える。椅子の一つに腰掛ける。目の前に、人がたくさんへばりついた奥穂への壁が、聳え立つ。
のんびりのんびり、お散歩のようにザイテングラードを歩いている。「若い人は速いから」というおじさんおばさんたちを抜いたり抜かされたり。「どこからですか」という質問に、「涸沢です」と答えると、聞いた人がびっくりする。涸沢からで、この時間、まだこんなところにいるんですか。そんなことは声には出さないけれど。それでも穂高に向かってだんだん高度が上がっていく。振り向いたらある涸沢のキャンプ場が、かわいい。テントがだんだん小さくなっていく。

ザイテングラードは秋の気配だ。薄く黄色く感じられる草、少し憂いを含んだ赤い花。草の間に雷鳥がいる。うっすら色付いている秋。東京ではまだ感じられない秋を感じながら、ザイテングラードを登っていく。
朝早く目覚めた。天気がイマイチである。気分も盛り上がらない。もう一度眠ることにする。

7時。山にしては遅い時間。起床とする。
今日は穂高岳山荘までたどり着けばよい。
北穂と涸沢岳を経由するコースがある。天気は相変わらずイマイチ。
ザイテングラードをただ行くだけの最短ルートは地図で2時間半。

 今日はそれにしない?

というわけで、7時に起床しておきながら、のんびり9時に朝飯、11時出発。
涸沢は広い広いキャンプ場で、わたしたちのテントは、道からごつごつの石の道なき道へそれてだいぶいったところにある。これはやばい。そう直感した。緑色の大きなテントで曲がる。そう明るいときにはわかっていても、夜になる。目印が見えなくなる。自分のテントではないから、よくよく見ないと間違える。一人では戻れない。ということは、一人では出歩けない、ということだ。それは困る。そう思って、涸沢ヒュッテまでの歩数を数えることにした。声に出して。少し手前で200歩。キリがいいから、そこをスタートとすることに定める。戻り道。200歩。手前のテントから、行きに聞こえてきたイビキが聞こえてくる。イビキを目印の一つにしてもいいな。一瞬そう思ったが、その人が一晩中イビキをかいているとは限らないことに思い至る。やはり歩数がいい。テント場へ踏み行って、カンで黄色のテントを目指す。
涸沢にはおでんがある。

  徳沢-涸沢ヒュッテ(4時間) ここでお昼。おでんがおいしい。

これはまだ恋人を解消する前にもらった、穂高の計画の中の一行。穂高に行く途中にはおでんがある、という知識を得た。去年単独槍穂縦走をした彼にとってはもちろん、わたしの中でもこの涸沢のおでんが、穂高の目標の一つになっていた。当初は1泊3日で立てていた穂高計画。天候の関係で3連休を使った2泊4日の行程となり、お昼に通り抜けるはずだった涸沢でゆっくりおでんを食べることになった。涸沢ヒュッテは、眺望が最高に素晴らしい、ゆったりとしたデッキがある。ビールと、そしておでんを購入。選びに選んだ結果、全種類ひとつずつ。山の上で、山に囲まれて、迫力の山を眺めながら、おでんを食べる。



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