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流されるままに。 呑んでいればご機嫌。
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夜中に目を覚ました。出て行くことに気付かなかったが、同行者がテントの外から戻ってきたらしい。

 外にしばらくいたんだけど、静かすぎて、怖かった。

   怖かったの?

 音が全くないんだ。


音がなく、静かすぎて怖い。そんなこともあるのか。音の全くない世界・・・。

怖いほどの静寂、というのをたぶん私は知らない。子供の頃、感じたことがあるかもしれない。一人暮らしの一人の夜、一人旅の一人の夜、あったかもしれない。近いのは、そういう夜なのだろうか。なんとなく思い出せそうな感覚、でも、できれば思い出したくはない感覚。このテントの外にあるのは、そんな感覚の土壌たる究極の静寂、なのだろうか・・・。

その怖いほどの静寂、というものを知りたくなった。似たような寂しさはあるだろう。でもそれは、作られた、人工の静寂だ。壊そうと思えば壊せる、やめたいと思えば降りられる静寂だ。ここの静寂は違う。人工ではない静寂、逃げる場所のない静寂。前にも後ろにも、5時間歩かなければ人はいない。ここはそんな場所。音がなくて怖い、と言ったのは、一人キャンプを海でも山でも散々やってきた人だった。きっとまたここには来るだろう、そう一人未来図を呟いた人の言葉だったのだ。同行者が眠った頃、その静寂の中へ踏み出した。

テントが見えないところまで行き、岩に腰をおろした。広かった。闇はどこまでも広がっていた。山は黒い。星は数多。闇空は星々を通り抜けて宇宙まで繋がっている。。。変な表現だ。でもそうなのだ。空は宇宙に繋がっている。星はその宇宙に、鏤められいる。実はそれぞれ遠く離れて。そして無限に広がる球形の宇宙の真ん中で、私は地球の表面にひっついている。地球の丸さ、地球の中からの力を感じている。この地面は宇宙の中の星の一つの表面であることを感じ、地面を通して地球に繋がっている自分を感じ、まわりの空気と無限の宇宙が繋がっていることを感じる。地面を通して繋がっているのはまた、岩であり草であり水である。全てが宇宙という球体の中に包まれており、それでいて全てが宇宙へ向かって繋がっている。

壮大な静寂。

この大きな一体の中で、全てのものが繋がっている中にあって、ヒトという同種はただ同行者のみであった。移動手段が自分の足のみであるその歩行5時間の圏内に、ヒトという生き物として存在しているものは、二人だけ。あまりにも大きな、あまりにも壮大で荘厳な宇宙。その中にあって、唯一の同種である同行者に、限りない近しさを知った。人間という体温のある存在が、少なくとも一人いる。彼がいることに、唯一の人としての繋がりを彼の存在に認められたことに、私は安心した。静寂の怖さを全く感じず、宇宙の夢の中に心地よく漂った。


静寂の夏の星々あるばかり
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長い長いトロッコ道を歩いていた。

山での挨拶は、普通「こんにちは」である。お互いに「こんにちは」と言ってすれ違う。ところがここでは「お疲れさまです」「頑張って」と声をかけられる。彼らは山登りの人間ではなく、都会からの旅行者であり、縄文杉を見終わった先輩だったのだ。山登り、というより、縄文杉、という目的地のあるかなりきついハイキングなのだ。

ところで、先を行く同行者が、追いついた私に聞いた。

 帰りの人が道を譲るという暗黙のルールがあるのかなあ。

行く人と帰る人がすれ違うことができるよう、一応舗装された板は二本道になっている。ただ、舗装されたところの左右も、決して歩きにくい道ではない。ぶつかりそうに板の上を歩くより、どちらかが土へ降りることになる。私はそこにルールを感じなかった。なぜなら、自分が先によけて舗装された板から下りて土の上を歩くこともあったし、逆に向こうがよけてくれることもあったからだ。そうなの?と生返事をした。

まっすぐな道で向こうから人が来るのがわかったら、向こうの先頭の人と私と、すれ違うまでの間に、微妙なやりとりがある。どちらが譲るか。人が見えたら、向こうは複数のことが多いから、一人の私がよけたほうがロスが少ない。私はかなり早くから、自分が道を降りる。疲れて動きたくないなぁと思っていると、その動作が遅れて向こうが右または左にずれてくれる。または向こうが優しいガイドさんだったら、私を屋久島のお客さんとして、譲ってくれることが多い。相手に気付いてからすれ違うまでの微妙な関係は、無言の勝負のようでもある。そして、ここは日本であり、私は日本人らしく、さっさと勝負を放棄するし、大抵向こうもそうなのだ。そしてすれ違うときに、「こんにちは」と言って勝負を称えあう。「お疲れさま」または「頑張って」という声をかけてくれるのは、たいてい譲ってくれた人だ。そうなのだ。何のことはない。彼は我が道を行っていたのだ。人が来ようが来るまいが、見えないのか気にしないのか、ずんずんとその道を行く。先方が、必ず先によけることになる。モーゼになることもある。前から来る集団の先頭も直前まで勝負を放棄しなかった場合だ。集団は個人個人が慌てて右と左に割れ、自然彼の道ができていくのだった。


もくもくと歩いてゆけば夏北斗

縄文杉を見上げ、手すりに寄りかかっていた私に、同行者が言った。

 カメラ貸して。とってもいいアングル知ってるんだ。

自分が写るのはあまり好きではない。断ったが、彼はとても楽しそうで、自信ありげで、珍しく強引だった。カメラを渡すと、狭い通路にしゃがみこんだ。

 あっちのほうを見て。

指された先は縄文杉ではない。縄文杉にはまったく目を向けず、私は言われるままにずっと右のほうを見る。

 そうそう、もうちょっと右。

半信半疑で笑いながら、首を捻る。
  
 OK!

写真の中の後姿の私は、見事に縄文杉を見つめていたのだった。


千年も万年も夏めぐり来る


縄文杉には夕方6時ごろ到着した。

縄文杉までは、一般の観光客もガイドをつけてよく行くコースだ。縄文杉見学ツアーは、一般的ではあるがかなりしんどい。なぜなら、一番短いコースでも、入り口から片道5時間はかかるからである。そして同じ道を、帰るためだけにまた5時間歩くことになる。日帰りの彼ら、彼女たちは、暗くなる前に戻るために、2時には縄文杉を出発しなければならない。それにひきかえ、こちらは縦走が目的である。このまま屋久杉を突っ切って、もっと奥へ、そしてもっと高いところへ向かうのだ。引き返す必要がない。夕方到着、それは人がすっかりいなくなった縄文杉とご対面、ということになる。

縄文杉の前に、人間はわたしと同行者だけであった。

縄文杉は樹齢3000~4000年とされ、一説には7200年と言われている。樹高25.3M、胸高周囲16.4M。観光客が根を踏みつけることから倒壊の危機となり、木の15M手前に展望デッキが作られている。立って眺め、座って眺め、寝ころんで眺める。

遙か太古の昔から、遙か永い時を、この杉は生きてきている。圧倒的な時間の流れの前に立ち尽くす。樹の息。神憑り的な空気。

 私は、本当にここにいるのだろうか
 本当にここまで、歩いてきたのだろうか
 同行者と私は、別のものなのだろうか
 小さな二つの存在は、もしかしたら同じものではないだろうか
 私はこの森が排除すべき他者なのだろうか
 魂は今この森に、一体化しているのだろうか
 そもそも私という存在はあるのだろうか

だんだんと暗くなってくる。ヘッドランプで縄文杉を照らす。真っ暗になり、わたしたちは縄文杉に守られて眠る。


夏の夜に集ふ木の神山の神

焼野の三叉路というところへ来た。
先客が二、三人。持ち主のいない大きなザックが二つほど。

ここは左に行けば百名山の宮之浦岳、右に行けば永田岳への分岐である。宮之浦岳の方から来た人たちが行く道は私たちが来た道であり、わたしたちは宮之浦岳の方へ抜けなければならない。永田岳はここに荷物を置いて行って帰ってくる、そんな位置付けの山である。この日の歩行時間、すでに5時間。宮之浦岳の先の小山でもやはり5時間。そんな場所なのだ。「水場どこでしょうか」先客に聞くと「ない」と言う。地図には確かに水場があるはずなのだが。

焼野の三叉路から十分ほど永田岳方向へ行ったところに、ちょうどテント一つ分のスペースがある。三年前に来たことのある同行者の記憶を頼りに、焼野の三叉路を後にする。世界遺産となった今、山の中でのキャンプは緩やかな禁止事項である。が、今日はここでビバーク、という確信犯であった。記憶通り、テントに適したスペースがあり、そこを一日の宿と定めた。荷物を下ろし、昼食のアルファ米やガス・コッヘルを持って永田岳へ向かう。

さて、このとき自分の腕がひりひりとしていることに気がついた。肉として焼けている感じだ。朝塗った日焼け止めは、そろそろ時間切れなのか。いや、汗で徐々に流れたのだろう。腕を見るとうっすら赤みがかっている。光を跳ね返す力を失ってきているようだ。皮膚が光を吸収しはじめている。まずい。私の肌は日に焼けると赤くなり、ひりひり痛くなってだるくなる。気がついてしまうと、気になって仕方がない。ところが、永田岳への途中で、昼食のときにでも塗りなおそうと入れたはずの日焼け止めが、ポケットにない。ぎゃあぎゃあ騒いだが仕方ない。そう、「諦めなさい」と諭す同行者は、すでに真っ赤だったのだ。雨の多いと言われる屋久島にあって、完璧と呼べる晴天の下、すでに5時間も歩いているのだ。日焼け止めはいらない、と聞いたことがあったので、日焼け止めを貸すことすら思いつかなかった。彼の肌は、私と違って日焼けが黒く落ち着くようだ。一週間後には、その黒さで出勤することになることに、彼は突如思い至った。諦めるよう諭しながら、彼も自分の黒さを気にしはじめた。

水を見つけ、ご飯を食べ、休んでみると、日焼け止めは、やはりちゃんと持ってきていた。今さらであるが塗ってみた。わたしは、ちょうど健康的に焼けるだろう。彼は、本当に気休めに塗ったのだった。


日焼け止めの跳ね返して余りある光かな
穂高にて @2008.9.13-15


二百歩と数ふるテントまでの距離

望の夜や奥穂の壁に対峙す

冷まじの頂にある祈りかな

冷まじに明けゆく朝の広がりゆく

身に沁むや常念と常念の影



屋久島にて @2008.7.19-26 




炎天の果て頂の岩静か

雲涼しただ転寝の足の裏

姿なき鹿の水場に清水掬ぶ

闇深し夏星とただ二人ばかり

夜の明ける前の涼しき鹿の影

夏祭待てり人のみ通ふ橋


「病牀六尺」どう読んでよいか、師の解説でヒントを得る。

~絵のことを語っているようで、釣りについて語っているようで、
  すべて「写生とは」を文章で実践してみせている。

見たものを、丁寧に描写してみせる。
二項を対比して説く(漢詩のごとく)。
写生とは。
西洋には叙事・叙情はあるが叙景はない。
吉野へ行かずして吉野を詠んでみせる(駄作として)。。。


この夏は普通の生活では見ることができない景色を見、経験をした。
素晴らしすぎて、言葉になぞしたくない。そう思っていた。
丁寧に描写してみる・・・。
丁寧な写生による句作・・・!!!
可能かもしれない!


風に色なき東京のきらきらと

橋数多潜りゆく秋の風とともに

秋の宿へ上りてゆくや隅田川


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