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東野圭吾「変身」

この小説は、事件に巻き込まれ、脳を撃たれた主人公が、犯人の脳を移植され、人格が変わっていく、というストーリーである。主題は、脳移植における倫理の問題だろう。そういう読み方も、愛の可能性という読み方も、サスペンスとしての読み方もできるが、わたしの個人的な関心は違うところにある。

京極瞬介の脳に支配されていく主人公、その過程は、京極瞬介の心の問題を解き明かしていくことと同義である。京極瞬介が、人を殺す衝動を持つようになる生い立ち。そこに「生きる」ことへの哀しさと愛しさを感じる。

人が性格や思考回路を形成するに至るのに、親との関係が、かなり大きく影響すると考える。20代半ばくらいで、理想の人間像や理想の環境と実際の自分との乖離に気付く。その乖離にあがくと、今の自分が形作られた経緯を考えるようになる。そして自分の意志ではどうすることもできなかった子供という時代におかれた環境に辿りつき、過去の環境と葛藤することになる。それを越えると、やっと「自分」という本当の「個」を獲得することができる。それが、私が考える、大人という人間への形成のプロセスだ。京極瞬介はまだ22歳。主人公は精神病院を訪れて、京極瞬介の「エディプス・コンプレックス」を認識したが、京極瞬介本人が、自分の凶暴性とその凶暴性に潜む、自己ではコントロールできない生い立ちの問題に気付いて克服していけば、彼は生きていけたかもしれない。主人公も、子供の頃いじめを受けていた。優しい大人しい人間として成長することで、その傷を押さえ込んできた。新しく獲得した積極性をうまく自覚してコントロールしていければ、主人公もまた、強い自分として、生きていけたかもしれない。

そんなことを思うことができるのは、しかし、個人の場合である。主人公と京極瞬介が、別々の人間として通常通り成長していれば、そのような成長が可能だったのでは、という仮説である。このストーリーでは、「他人の脳」なのである。他人の脳が形成されてきた、他人の過去を追体験していかなければならない。追体験する側の主人公も、される側の脳も、20代前半、である。自分の棚卸で精一杯の年齢で、二つの人生を辿るのは、それだけで充分しんどい。そこに、もう一つの脳が凶暴を志向しているということ、そして元の自分が侵食されていくことを自覚しているということ、という本来のテーマである大問題が加わったのが、この小説である。悲しいエンディングであるが、作者の人間という生き物への温かい視線が感じられる。京極瞬介が「悪」としてだけ認識される社会が、逆に私には恐ろしい。
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