忍者ブログ
流されるままに。 呑んでいればご機嫌。
[329] [327] [326] [325] [324] [323] [322] [321] [320] [319] [318]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

叔母の話から始めよう。なぜなら、蝶が岳へ行こう、と決めていた日に叔母が亡くなったから。そして叔母のお葬式の日、お葬式会場から自転車で帰り、そのまま着替えて荷物を担ぎ、上高地行きの夜行で改めて蝶が岳へ向かったから。

叔母が癌だ、と聞いたのは確か6月くらいだった。母からちょくちょく検査だ検査結果だとメールが来るようになっていた。
母から叔母に関するメールが来るようになったこの時期、わたし自身は、脳が飽和状態で、物事を考えることができない状態に陥っていた。ウツではない。周りからはウツに見え、それを否定するのも説明するのも疲れることだった。神経が衰弱していた。神経がピリピリしていて、ちょっとした会話でもどっと疲れ、そんな状態がコントロール不可能だった。寝ても寝ても頭の状態が変わらず、小さな情報の整理もできない、いらない情報が自分の意志と関係なくゴミのように留まっている感じだった。
たとえば、こんなことがあった。朝自転車に乗ろうとしたら、自転車置き場にわたしの自転車がない。「盗まれた?」とまず疑う。疑うしかない状況なのだ。普通に朝起きて、自転車は当然あるはずだから自転車に乗ろうと思ったのだ。ところが、その自転車がない。ふと冷静になって考えてみる。盗まれるという可能性は場所的に低い。ここは治安のよい路地裏のアパートで、わざわざ盗みに来るところではないはずだからだ。そして自分を疑い始める。この頃は、自分の脳を信じてはいけない、と理解していたようだ。ゆっくり状況を把握していくことにする。わたしは自転車にいつ乗ったか?考えてみれば昨日も一昨日も近所のスーパーに行ったくらいだ。確か手に荷物をぶら下げて帰ってきた気がするから、歩いて行ったような気がする。思い出せないが、駅周辺に行ってみれば、スーパーか駅前か、自転車はあるかもしれない。あればきっと思い出す。そう期待して駅へ行ってみる。ところが駅周辺はすでに朝の自転車一斉撤去が終わっていた。自分がどこかに置いたはずの自転車の痕跡も、すでにない。思い出すヒントも見失ったわけだ。がっかりしたがこのことは諦めて、頭を用事に切り替えた。自転車で行くはずだったが、自転車で30分の距離を徒歩に変えた。1時間ほど歩いたところで、はた、と気付いた。自転車保管場へ行ってみればいい。家になくて駅になければ、盗まれた可能性よりは撤去された可能性の方が高く、自転車保管場にある可能性は極めて高く思われた。そこで、そこから1時間かけて保管場まで歩き、自転車を見せてもらった。私の自転車はすぐに見つかった。やっぱり自分の記憶がバッサリ抜け落ちていたのだ。
心療内科で確信犯的に診断書をもらい、傷病手当金をもらって1か月会社を休んだ。前から決めていたことだが、もうどうにも、今の環境から離れて休まないとどうにもならない、というのもあって、7末に退職した。次のことはまだ何も考えられなかった。まずは休むことが必要だった。無職となった8月に両親の小樽観光へ同行した。このときだ。毎晩叔母と電話する母の隣で、父が私に小声で告げた。叔母は相当悪い、と。時間がない、と思った。叔母にはどうしても会わなければいけなかった。
PR

コメント


コメントフォーム
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード
  Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字


トラックバック
この記事にトラックバックする:


忍者ブログ [PR]
カレンダー
08 2024/09 10
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
フリーエリア
最新CM
最新TB
プロフィール
HN:
AKIKO
性別:
非公開
バーコード
アナログ時計【トランプ】
お天気情報
忍者アド