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碧梧桐の旅のスタートは、千葉、である。正確には、両国で汽車に乗るところから始まるのだが、やはり千葉から、と言いたい。「せめて千葉まで」と言う仲間ととも千葉まで来て、まどろむひまもない別れの一夜、その一泊を終えて、碧梧桐にとっての旅が始まる。曽我野、八幡、木更津。勝山、那古、館山。洲崎 、千倉。小湊、勝浦、上総一の宮。片貝、成東、犬吠埼。ここまで来て、あまりの面白さに、もう一度千葉から辿りなおす。

地図帳を広げる。鹿野山、鋸山も載っている。「初秋や入鹿も見えて鷗飛ぶ」碧梧桐は仕様もない句を作っている。
しばらく碧梧桐の文章を鑑賞しよう。碧梧桐は、たまに自嘲する。「途中雨に降られて、荷物を五十ばかりの婆さんに負うて貰うたのは我ながら滑稽に類する」(@那古)「真黒に焦げた大勢の中へ交ると、自分の生白い身体が如何にも見すぼらしい」(@勝浦)。
那古では盲目尼が謳う姿を描写し、「煤ぼけた仏像そのままに見える。」と最高の褒め言葉を送る。その老尼が謳う姿から導いた結論は、行基まで遡ってしまう。「行基の遺業は今この尼前にのみ残っておる」。
波太島では、ここでは島主は「仁右衛門」で通っているが、隠居の仁右衛門の顔を「何となく奥行きのあるしっとりとした顔」と評しつつ、島の様子を書いている。当主の仁右衛門の子供に、ぼっちゃま、と言いながら漁師が礼の厚いお辞儀をするところなどを切り取ってみせる。
名刹清澄寺と、歴史の浅い誕生寺を比較し、誕生寺の雅趣を描いているところなどは、子規の文章を思い起こさせる。誕生寺を書いたところの結末は、「この宿屋で風呂に入ると、湯の中に小さな蝦と蟹が浮いておった」。
なかなか味がある目線で、気付くとわたしは、ふっと笑っているのである。

なぜこんなにも惹きつけられるのか。文章もいい。見るところが味がある。それは認めるが、それだけではないことも認めなくてはならない。碧梧桐が歩いている場所、が心に訴えてきている。千葉という場所の力が、小さくない。おそらく多分に、個人的な理由である。千葉、或いは房総に、どっぷり浸かったことは、ない。それでも、この辺りには、小さな、こまごまとした想い出の欠片が、散りばめられている。その欠片と碧梧桐の旅が、シンクロする。ああ、欠片と旅が、シンクロしていく・・・。
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